太宰治にはまった時期
――そもそも小説を書こうと思ったきっかけは。
朱川 四つ離れた兄がいて、中学のとき、当時流行っていたフォークソングのレコードとかを買ってきては聴いていたんです。当然弟も横で聞きますよね。その詩の世界がいいな、と思っちゃった。思春期の頃になると、それを真似したような詩を書いてみたりして。今出てきたら、恐喝のネタになるかも(笑)。そこから発展して、小説になっていったという感じです。
――それは珍しいのでは。読書少年ではなかったのですか。
朱川 いや、本も好きでしたよ。シャーロック・ホームズにもかぶれましたから。その後、太宰治に出会ってドツボにはまりました。中三、高一の頃は、ほんとボルテージが高かったです。肩を叩けば、生まれてすみません、という感じで(笑)。新潮文庫は読破しました。もっとも年が年ですから、百パーセント理解していたかどうかは別ですが。いちばん好きなのは、『きりぎりす』とか『パンドラの匣』といった中期の明るい作品。『人間失格』や『斜陽』も素晴らしいんですが、本当、あの作家はすごいと思います。あと江戸川乱歩も好き。両極端なんですよ、僕は。人間とは何ぞやということを考えながら、結構エログロの世界も好き(笑)。でも、突き詰めると、エログロというのも人間の世界ですから。
――さっきお話しした死というものについて考えるのは、太宰の影響が強い。
朱川 そうですね。そのまんま年を食ってしまったところがあります。あとはさらに、子供時代のマンガとかテレビの特撮モノとかにも影響されてます。当時のウルトラシリーズは、怪獣や宇宙人が単なる悪者ではなくて、悩みを抱えていたり、今見直すと、子供番組なのにこんなことやっていいのか、みたいなところがありましたよね。地球の先住民族と現代人の戦いとか。そういうのが僕の中でごちゃごちゃと混ざり合って、不思議な話で、なおかつ、生きていることの痛みとか喜びとか、そういうのを伝えられるものが書けたらいいな、と思っているんです。この辺からはあまり離れないと思います。何を書いても、そこに行き着くのではないでしょうか。
――書きたい作品はこういうもの、というのは以前からわりとはっきりとされていたのでしょうか。
朱川 『都市伝説セピア』を書いたときにもお話ししたんですが、大学を出て出版社に勤めながら、ずっと小説家になりたいと思って書き続けてはいたんですよ。ところが、人間はひとつの夢にあまりぶら下がりすぎると、目的が手段になってしまうというか、賞を獲るためにはどうすればよいか、売れる話を書くためにはどうすればよいかといったことばかり考えるようになるんです。必ずしも悪いことではないけど、これはなんか違うな、という気持ちになってしまったんです。ある時、とにかく自分が書きたいものを書いてみようと考えて書いたのが『都市伝説セピア』の中の「アイスマン」。この作品を書き終えたときに、何かが自分の中ではまったような気がしました。ジグソーパズルのピースがパチッとはまったような。そうだ、俺がやりたかったのはこれだ、と。それを投稿したところ、良い結果を出してくれたので、これでいこう、と思えました。