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『夜を守る』解説

『夜を守る』解説

文:永江 朗 (ライター)

『夜を守る』(石田衣良 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 年末になると、テレビのニュース番組には、かならずアメ横からの中継が入る。数の子とか新巻鮭とか、お正月の食料品を買いに来る人がたくさんいるからだ。男たちが「安いよ、安いよ。ほら買ってきな」とだみ声で叫んでいる。

 乾物や食料品を安く売る店がたくさんある一方で、海外の高級品を安く売る店もある。アメ横はなんでもある迷宮みたいな街なんだ。

 アメ横は他に類例のない独特の空間だけれども、そもそも上野という街からしてかなり変わっている。新宿とも銀座とも渋谷とも、そして池袋とも違っている。ひと言であらわすと、いろんなものが入り混じった街だ。古いものと新しいもの、高踏的なものと大衆的なもの、洗練されたものと荒削りなもの、いろんなものがひとつの空間のなかで混じり合い共存している。

 IWGPシリーズの舞台である池袋は、東京の繁華街の中では新しい街だ。繁華街になったのは一九三〇年代から。それに対して上野は、古くからの街なんだ。この街が開かれたのは江戸時代の初めごろ。江戸城、いまの皇居から見ると、鬼門にあたる。鬼門というのは、陰陽道で鬼が出入りする方角だ。だから徳川家の菩提寺である寛永寺が置かれた。上野やその周辺は古典落語にもよく登場するし、いまでも鰻屋や蕎麦屋、寄席など、江戸情緒を感じさせる商売が残っている。ようするに「八っつあん、熊さん」の時代からの街だ。

 だいたい地名からして古めかしいよね。「不忍池」と書いて「しのばずのいけ」と読ませたり、「御徒町」と書いて「おかちまち」と読ませたり。

 でも、将軍家菩提寺の門前町だっただけに、幕末維新のときは大変だった。幕府軍と薩長連合軍がここで戦った。そう、上野戦争だ。彰義隊が上野の山にこもって徹底抗戦したけど、勝敗は一日で決まった。逃げ延びた幕府軍のなかには、会津や函館までいって戦った人もいる。でも徳川幕府は瓦解した。明治維新の時代になった。だから上野という土地は、幕末の戦争とアジア太平洋戦争と、二度の戦争を経験しているんだ。

 寛永寺の境内は大きく削られて公園が作られた。日本の公園第一号だ。公園には博物館や美術館も建てられた。国立の芸術大学も置かれた。いま上野駅の西側は、芸術の聖地になっている。

 ところがこの芸術の聖地が、花見の季節には大変なことになる。あちこちでシートを広げ、昼間から飲んで歌って大騒ぎだ。ハイソな芸術の街で猥雑などんちゃん騒ぎ。

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夜を守る
石田衣良・著

定価:600円+税 発売日:2014年02月07日

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