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説明責任を果たさない理研に失望した──第46回大宅賞は『捏造の科学者 STAP細胞事件』(須田桃子)

説明責任を果たさない理研に失望した──第46回大宅賞は『捏造の科学者 STAP細胞事件』(須田桃子)

「本の話」編集部


ジャンル : #ノンフィクション

候補作がいずれも新聞記者の作品となったことについて

司会 それでは質問を受け付けます。

――今回の候補作が3作品とも新聞記者のものですが、どういう意見が出ていたのか?

選考委員の梯久美子さん

 特に新聞記者を意識したわけではなく、3名ともたまたま新聞記者だねという感じで、それが最近のノンフィクションの傾向だという話にはなりませんでした。新聞記者としての取材・執筆活動をベースとしていながらも、それぞれまったく違う作品が出来上がったなという感じがします。尾崎真理子さんの『ひみつの王国 ―評伝 石井桃子』(新潮社刊)は、記者としてインタビューしたことが核にはあるが非常に地道な文献やインタビューの作業を通して、作品として大変すばらしいものをお書きになったと思います。川名壮志さんの『謝るなら、いつでもおいで』(集英社刊)は、当事者のごく近くにいて見ていたことを、あるていど時間が経ってから書いている、そのことのよさが出ているという指摘もありました。新聞記者としての仕事がベースになりつつも、それぞれテーマもタイプも違う作品であるということです。

 2つの作品について少しお話しします。

『ひみつの王国』については、非常にすぐれた作品であるということは全員が認めるところ。取材や調査が行き届いていて、文章と構成も言うことのない、良質の力作、労作であるということですね。石井桃子という方は大作家ではありますけれども、今まで大きな評伝が出ていなかったということで、これからの石井桃子、あるいは戦中、戦前、戦後の児童文学における基礎的文献になる仕事をなさったのではないか。ただ、非常に優れた作品で、賞を取るのに値するのだけれども、文芸批評の作品により近いのではないかという意見がいくつか出ました。

 石井桃子さんについて『ノンちゃん雲に乗る』の著者、『クマのプーさん』の翻訳者であるとか、基礎的知識がないとわかりづらいところがありまして、文芸評論として文芸分野に詳しい方や興味がある方に向けて書かれているのではないかという意見が出ました。

 戦時中の戦争協力に触れて、当時彼女が書いた今まで知られていなかった作品を掲載したという意義は大きいと思います。

 ファンタジーの作家ということで、異常な世界に惹かれる人だったのではないかと。幻視の経験、普通の人には見えないものが見えてしまうような経験をしたことがあることが取り上げられていて、興味深かったが、もうちょっと深く踏みこんでほしかった。ご本人が知られたくなかったであろうことに、もう一歩も二歩も踏み込んで欲しかったという意見も出ました。

 これは私の感想なんですけれども、ひとりの作家の初めての本格評伝であるという価値以上に、女性でしかも児童文学者ということで文壇では傍流にある作家。この方のことを時代背景も含めて取り上げたことで、初めて見えてくるものもあるなと感じました。女性が自分の才能を活かして生きていくことをテーマに戦中・戦後の混乱の時代を背景にして、非常に説得力がある。主役は石井桃子さんですが、群像劇のように周りにいた女性たちで大きな作品を残すことなく亡くなって行った方々についても触れられていることに大きな感銘を受けました。

 それから、川名壮志さんの『謝るなら、いつでもおいで』(集英社刊)は、あるていど時間が経ってから書かれた話で、これを推す肯定的な意見としては、さんざん報道された記事とはまったく違うもので、かなり個人的なところに寄った視点で、当時誰も書かなかったものをわかりやすい文体で書いた、非常に価値のあるいい作品だという意見が出ました。

 後半に、被害者の父と兄、加害者の父が出てきますけれども、被害者の父と兄に関して論評を交えずにずっと1人称で、聞き書きの形になっている。ここが非常に良かったという人と、ここが良くなかったという人に意見がわかれました。記者の論評を交えないところが今までにはなかったことだし魅力的だというお話と、書きっぱなしといいますか、これだけの長さのものを、著者のコメントとか、どんな質問をして答が返ってきたのかといったやり取りを一切なしに書いてしまうのはノンフィクションの作品性ということから言ってもどうなのか、ということが賛否わかれたところだった。

――川名さんについて。新聞記者でありながら新聞社を批判したり、「これは私が取材しました」と見えるような場面もあったが。

 一言で言うとあまりリスクを負っていない。新聞記者としていうきれい事というとなんですが、その立場で書いている部分がある。同僚から批判されるシーンもありますが、それも言い訳というか。新聞記者と上司と部下である葛藤そのもの、気持ちは書かれているが、単なる感想とか思いではなくて、作品であるからにはもう一歩踏みこんで考察して書くべきではないかという意見がありました。

 少年法の問題や14歳以下の児童については、施設に行っても加害者と被害者が区別されずに扱われるとか、精神鑑定は前提とされていないとか、色んなテーマが出てくるが特に深めることもなく、こういうのもあるよあるよという感じで流していっているということが、他でさんざん書かれているから必要ないという意見とちょっと食い足りないという意見も出ました。

――科学ジャーナリストの必要性について、今回の授賞をきっかけに、たとえば選考の中で今の日本社会において科学ジャーナリストが必要だという話があったのか。

 その話は前提となっておりました。こういう事件が起こってくると、明らかにクローズアップされてきますね、と。特に、理研に関する批判というのはさまざまになされたわけですけど、これを読んでいくと、ああこういう理由で、こういうところが理研は批判されるべきだったんだなと体系立てて理解出来る。

 科学的な知見や資質を持っていることと、これまでのお仕事の中でも人脈と言いますか、科学者コミュニティーの中で科学者自身に著者が評価されていて、この人にならば、という風に情報提供する方がいたと。この著者がいなければ表に出なかった情報かもしれない。それを私たちが見て知って判断出来るのは、そういう立場の資質があり経験がある人間として信頼され、筆力もある方がいたから。

 いわゆるリークという匿名で来た情報を、いつどのように発表するかというのも難しいですし、そこには決断力と判断力と勇気がいる。そういうものを備えたジャーナリストというものが、これから科学というものが複雑になってくると言う中で必要ではないか。

 最近の科学技術というものが細分化されていて、この論文に名を連ねた人でも全体像がわかっていないというのは、私たち素人にとっては驚くべきことだった。そういうこと自体を世間に伝えるということもありますし、専門性はなくてもこのプロジェクトをあるていど俯瞰の位置で見られるような知識と見識がある人がジャーナリストにいるということが、科学界にとっても非常に重要なのではないか。

【次ページ】事件の背景にあった基礎研究の軽視や成果主義の予算配分

文春文庫
捏造の科学者
STAP細胞事件
須田桃子

定価:1,177円(税込)発売日:2018年10月06日

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