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第153回直木賞候補作(抄録)<br />柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋)

第153回直木賞候補作(抄録)
柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋)

柚木 麻子

出典 : #オール讀物
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

「女子高生みたいなもん、食ってるな、志村。太るぞ」

 どんな場面であれ、相手に落ち度がないかまず確認させるような物言いをするのが、水産チームの同僚・杉下康行(すぎしたやすゆき)の持ち味だった。こちらが思わず我が身を振り返っているうちに、どんどん自分のペースを押し通してしまう。そんな態度が批判さえはねのけるらしく、特に完璧主義ということもないのに、彼が上司から叱責されたり、注意されたりする場面を見たことがない。体育会系の多い営業部で杉下の痩せぎすな体つきや整っているけれどやや長い顔や細い顎(あご)、薄く色の悪い唇は目立っている。大学院で建築学を専攻していたという異色の経歴の持ち主のため、同期だが二歳年上になる。

「おはよう。あ、このパンね。ブログで紹介されていたの。やっと手に入れたんだ」

 一人の時間が思ったより早く打ち切られたことに失望しつつ、栄利子は咄嗟(とっさ)にパソコン画面を指し示す。杉下がこちらのデスクに手をつき、ぐっと身体を乗り出した。あ、近い――。そう思ったが、身を引こうとまでは思わない。杉下の愛用する整髪料のにおいがつんと鼻をかすめた。

「へー、奥さんブログ? 独身の志村が読んで、なにが面白いんだ?」

『おひょうのダメ奥さん日記』はこの二年、毎日のように読み続けているブログだ。そっけないデザインのトップページ。改行の少ない長文。時々添えられる写真は携帯電話によるもので、お世辞にも上手いとは言いがたい。しかしながら、某サイトの人気主婦ブログランキングでは必ず三十位以内に入っている。主婦ブログにつきものの「アンチ」が居ないのが特徴かもしれない。

「そうなんだけど、なんか主婦主婦してなくて、絶妙に力が抜けてるの。食生活も家事も相当いい加減なのに、不思議と清潔感というか節度があって。同い年ってところも親近感湧くし」

「おひょう」はスーパーマーケットの店長をしている夫と都内のマンションに二人暮らしをしている。子供は今のところつくる気はないらしい。そう裕福なわけでもなさそうなのにパートをしている様子はない。専業主婦にもかかわらず、食事は作ったり作らなかったり。ファミレスや回転寿司で夫と待ち合わせ、夕食を済ますことも多い。そのことを夫はとがめるでもなく、夫婦仲は極めて良さそうだ。かといって仲睦(なかむつ)まじい様子をことさらにアピールすることはない。夫のことを「旦那さん」とか「○○くん」ではなく「魔王」と呼ぶセンスも好きだ。

『子供は欲しいけど、作るところまで全然到達しないんです! セックスって始まってからはそうでもないけれど、やるまでが、面倒くさいじゃないですか。おい、魔王、これ読んでるか?』

 なんてきわどい話をさらっとしたりする。

 スーパーマーケットやドラッグストアなどのポイントはいっさい貯めない、クーポンも使わない、そういう主義だ、ときっぱり書いた時など実に痛快だった。

『あいつらが、われわれの大事な時間を奪っているんですよ(怒)。ちまちま積み重ねたところで結局、五百円くらいの得のために、レジにいくたびに財布からポイントカードを探し出して差し出す手間を考えたら、いっそ全部なしにした方が、ずっと清々(すがすが)しい。あの手間にかかる時間を一生分全部合計したら十時間くらいになったりして。うち別にお金持ちじゃないから、ものすっごい損しているかもしれないけど、もう面倒くさいから、それでいい~。思い切って捨てたら、あれ、財布がめちゃくちゃ軽い! 軽やか~』

 栄利子は昔から、母親がポイントカードやクーポンで財布をパンパンに膨らませているのが、嫌いだった。父は随分早い段階で中丸商事の子会社の社長になっていたし、それなりに裕福な暮らしをしているのにもかかわらず、たかが百円、二百円の得のために、売り手の言いなりになっている母を見るのが悲しかった。母は一見マイペースに見えて、押しに弱く、意志を通せないところがあった。貰ったものを捨てられず、いつまでも取っておくタイプだった。それは自分に似ている部分でもあるので、余計に不愉快だったのかもしれない。おひょうはたぶん、時間がお金よりも上だと感覚で知っているのだ。だから、何にも縛られることなく、自分の時間をのびのびと生きることが出来るのだ。

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ナイルパーチの女子会
柚木麻子・著

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