女の友情には、恋愛と同様に、山と谷とがあります。「あまからカルテット」の四人組のように学生時代からの仲良しでも、時には友情に波風が立つことがある。
やはり恋愛と同じく、友情も最初の頃は蜜月が続くのです。四人組も、学生時代は何でも打ち明け合い、共に行動をし、おおいに盛り上がったことでしょう。
しかし就職や結婚で別々の道に進むと、蜜月にも翳りが見えることがあるのです。恋愛に夢中になって友達付き合いが悪くなったり、仕事が忙しくて友達どころではなくなったり。
そんな様子を見ると男性は、「女同士の友情なんて、本当は存在しないんだ」などと言いたがるものです。「本当の友情は男だけのもの」と、彼等はホモソーシャル的な満足感に浸ることになる。
しかし女性の友情というのは、非常に柔軟性が高いのです。様々な経験を積むうちに、仲良しグループの一人が色ボケ状態とか社畜状態になっても、他のメンバーは「ま、一時的なことでしょう。しばらくしたらこっちに戻ってくるに違いない」と、余裕をもって構えることができるようになってくる。しばらく友人の輪から離脱していたメンバーが恋愛や仕事でピンチに陥った時、友人達は最後のセイフティ・ネットとしてどんと構えて、落ち込んでいる友を救うのです。
柚木麻子さんは、おそらく女子校生活のせいでしょう、「女の友情の波風」について、とてもよくわかっている方です。そして「あまからカルテット」における四人組は、今まさに、女の友情の鍛錬期にあるようです。中学高校と女子校において同級生だった四人はそれぞれ別の道に進んでいて、結婚している人もいれば、仕事に邁進する人も。独身組にそれぞれ彼ができました、というところから物語はスタートします。
ピアノ教師の咲子が食べたお稲荷さんの味からその作り手を探し出したり、ハイボールの味から、恋に終りが近いことを察したり。四人の共通した感覚は味覚の鋭さであり、その感覚を利用することによって、探偵のように謎を解くのが痛快です。
四人が助け合い、知恵を出し合って難局を乗り切ろうとする様子を読んでいると、私も昔のことが懐かしく思い出されるのです。私達は本書の四人ほど発達した味覚には恵まれませんでしたが、手ひどく男性からふられた友達のために、皆で協力してちょっとした仕返しをしたりしたものでしたっけ。
四人は女子校の出身であるわけですが、女子校出身者ならではの男気も、この作品の中では随所に見られるのでした。女子校というと、女だけのドロドロした世界と思われやすいのですが、それは大きな誤解。女であれば誰しもドロドロしたものを分泌しているのは事実ですが、男性の視線があるためにドロドロが隠蔽されてますます濃度を増すのが共学だとしたら、女子校の場合はドロドロが分泌されてもすぐに表出して乾燥していく環境なのです。
女しかいない女子校はまた、「男に頼る」という発想が生まれず、何でも自分達で完結させなくてはなりません。女子校出身者にしばしば男気あふれる人がいるのはその為で、本書においても男気が噴出するシーンが数々出て来ます。
たとえば、美容部員の満里子。由香子が落ち込んでいると聞けば、化粧品を持参で彼女の家へ行って、彼女をきれいにすることによって元気づける。そして大晦日、福袋を全て詰め直す羽目になった時も、四の五の言わずに後輩達の尻を叩きながら業務に邁進。ドアが締まって閉じ込められてしまった時も、諦めずに策を練る……。
時には友達を全力で助けるけれど、時にはそうっとしておく。また、時には友達を手放しで褒めつつ、時には言いにくいこともズバリと言う。時と場合、そして相手に合わせた友情のさじ加減が上手になってくるのも、学生時代の友人ならではでしょう。長年付き合っているので、相手の性格を見て対応できるし、「こんな時は、こういう対応」というマニュアルも、できてくるのです。
人に弱みを見せたり、助けを求めることを潔しとしなかった薫子が、次第に友達の助けを素直に受け入れることができるようになったのは、年月を経て熟成してきた友情の機微の成果です。地味な主婦であった由香子が、次第に働く女としての自覚と自信を深めてきたのも、友人達がいたからこそ。
友情を通じて様々な問題を乗り越えていく彼女達ですが、しかし四人の友情ストーリーは、これで終りではないのだと私は思います。長い女の人生を考えると、四人の場合、やっと第一楽章が終ったくらいのところではないか。
なぜなら、女の友情ストーリーが最も激しい転調を迎えるのは、これからだから。
「私達って何でもわかりあっているわよね」「恋人や夫ですら、このチームワークを壊すことはできないわ」と思っていても、誰かが出産して子育て期に入ると、足並みは急激に揃わなくなってくるのです。子供がいる人といない人の生活リズムは著しく異なるようになり、関心事も話題もばらばらに。
咲子、満里子、由香子、薫子の四人にも、さほど遠くない未来に、そういった時期がやってくることと思います。何年も会わないようなことも、あるかもしれません。
しかしこの四人の友情は、それでも続いていく気がするのです。理由の一つは、「食の趣味が同じ」ということ。親子でも夫婦でも友人でも、他の相性が悪くとも、食のセンスが共通していると、その関係は長続きするもの。食べることへの熱意、すなわち生きることへの熱意を持つ四人は、これからも食べることを通じて、つながっていくのではないでしょうか。
そしてもう一つ、若い頃に厳しく鍛錬された友情というのは、その先にどんな山だの谷だのがあっても、途切れずに続いていくということを、今の私が実感しているから、という理由もあるのです。
私もまた、女子校時代からの友情を練りに練ってきた者であるわけですが、それでも友人達に子供ができてこちらには子供がいないという状況下では、次第に疎遠になりました。「もうこのまま、友情も終ってしまうのか」と思う時もあったものです。
しかし母親達の子育てが一段落すると、友情は自然に元に戻ったのです。「焼けぼっくいに火が」的なテレも無く、ごく自然に友情が復活するのは、若い時代に恥ずかしいことも悲しいことも嬉しいことも見せ合ってきたからに違いない。
四人にも、まもなく共にカルテットを奏でることが不可能になる時が来ることでしょう。しかしカルテットというのは、一人一人がソロとしても活躍できるほどの個性を持つ人の集まりだからこそ、成立するもの。たとえ友情の中断期間があっても、四人はその間にまた、一人ずつ異なる成長を遂げることでしょう。そして再び四人が結集した時は、ますます芳醇なハーモニーを響かせるに違いないのです。
あまからカルテット
発売日:2013年12月13日
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