- 2015.04.07
- インタビュー・対談
彼女の友情が私を食べ尽くす──「女子会」を内側と外側から考える
「本の話」編集部
『ナイルパーチの女子会』 (柚木麻子 著)
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
三十の同い年、そして「同性の友達がいない」ことも共通したことで急速に親しくなったふたりの女性。しかしその後ふたりの関係は思いもよらぬ方向へ……。これまでもさまざまな人間関係を描いてきた柚木麻子さんが新作『ナイルパーチの女子会』で「女同士の関係の極北」を描いた背景を伺います。
――本作品にはふたりの主人公、大手商社につとめる栄利子と専業主婦の翔子が登場します。ふたりの生まれ育った環境は異なりますが「女友達がいない」ことが共通していて、そのことがふたりを接近させ、そして離れさせる要因となります。この設定の背景には何があったのでしょうか。
柚木 ここ数年のあいだに、女同士が仲良くすることに対してなぜか「心をざらつかせる」人がいることに気が付くようになったんです。
いわゆる「女子会」をするような人々に敵意のようなものを抱く人がいる。女のコミュニティなんて面倒だと思っているのに何故か目が離せなくて、疎外感を覚える人がいる。そのことについて考えてみたい、ということがまず最初にありました。
――栄利子は「女子会」的なものに敵意を抱きながら、同時に女友達を得ることを渇望しています。その栄利子の感情の振幅の大きさは、時折豹変することも含めて、とても衝撃的でした。
柚木 一般的に「友達はいたほうがいい」「友達は多いほうがいい」と言われますが、実は必ずしもそうじゃないと思います。「友達が多いほうが人間としても優れている」という極端な考え方もありますが、それも違うのではないでしょうか。
私は東京生まれの東京育ちで、今も子供の頃からの多くの友達がそのまま周囲に住んでいて、「女子会」も、そんな呼び名が付く以前からさんざんやってきました(笑)。栄利子みたいな女性から見れば、コミュニケーション能力が高い集団に見えるかもしれませんが、自然に集まれるのは状況の力が作用しているのであって、いつも似たメンバーだし、それぞれにへんくつな暗い部分もある。それに友達がいたとしても、栄利子や翔子の抱えるような問題はみんな何かしら持っていると思いますよ。
――そのことに対して敵意を抱かれても困ってしまいますね。
柚木 はい。でも昔は「女子会サイコー!」というノリだけだったのですが、最近は楽しい最中でもふっとさびしくなる時があったり、自分たちに冷たい視線を向ける人たちがいるのはなぜか、ということも考えるようになりました。それは少し年を取って、若干の客観性を持つようになったからかもしれません。
――もうひとりの主人公、専業主婦の翔子も「女子会」的なこととは無縁の存在です。でも翔子は栄利子との関係の変化がきっかけで、それまでゆるいノリでやっていたブログに異様に力を注ぎ始めます。それは栄利子とは違った形で、強く友達を求めることの現われのようにも見えました。
柚木 栄利子や翔子に限らず、同調圧力の強い「親しい友達がたくさんいたほうがよい」という価値観を持つ人は多いと思います。でもその価値観は実はブログの人気順位のように簡単に数値化が可能で、自分でも意識しないまま他人と競ったり闘ったりさせられていることがあります。そんな価値観には無理に従わないで、そこから降りたり、いっそ背を向けてもよいのでは――ということに作品を書きながら気づきました。
ひとりのことを「思う」だけでも友達は友達ではないか――親しい友達同士が助け合う『あまからカルテット』のような作品を書いておいていうのも何ですが(笑)、どちらも真実だと私は思います。
――タイトルにある「ナイルパーチ」は、一つの生態系を壊すこともある凶暴な性質の食用の淡水魚です。作中ではその象徴する意味が絶妙に変化してゆき、栄利子と翔子の関係性も暗示していますね。
柚木 ナイルパーチのことはあるドキュメンタリー映画を見て知ったのですが、調べたり取材をするうちに、凶暴性だけではない、さまざまな性質や事情を知りました。今回の作品の結末は自分でも思いもよらぬものになりましたが、この魚の影響は少なくありませんでした。凶暴な性質といわれるけど、それは人間が提供した環境のせいであって、ナイルパーチ自体に罪はありません。これが栄利子たちの女友達をめぐる人間関係をどのように照射するのか……作品からそんなところも読み取っていただけたら嬉しいですね。
装画・菅野裕美