目の前に突き出された警察手帳を見ながら、岳士(たけし)は立ち尽くす。視界から遠近感が消え去り、まるでそこに載っている男の写真が迫ってくるような錯覚に陥っていた。
『逃げろ!』
海斗(かいと)の声で岳士は我に返る。
『サファイヤを持ったままなんだぞ。ここで捕まったら何もかも終わりだ。全力で逃げるんだ!』
慌てて身を翻した瞬間、岳士は首の後ろに衝撃をおぼえた。体が後ろに引かれ、両足が一瞬宙に浮く。ジャケットの生地が破れる音が狭い路地に響いた。
「おいおい、どうしたんだよ。いきなり逃げ出そうとして。相手が自己紹介したら自分も名乗るのが常識だろ?」
番田(ばんだ)と名乗った刑事は、岳士のジャケットの後ろ襟を掴みながらからかうように言う。
「絶対に警察に捕まるな。いざとなったら拳を使え」
サファイヤの運び屋をはじめたとき、カズマに何度も言われた言葉が脳裏に蘇る。
仕方がない。
岳士は右の拳を握りこむと、振り向きざまにフックを放った。しかし、こめかみに拳がめり込む直前、番田が無造作にジャケットを掴む手を引いた。
首の後ろに漬物石でも叩きつけられたかのような衝撃が走る。それほどに番田の引きつけは強力だった。岳士は大きく前のめりにバランスを崩し、放っていたパンチは力なく空を切る。
「元気がいいガキだな。けど、元機動隊員の俺に奥襟がっちり掴まれちゃ、何も出来ねえよ。警察柔道なめんなよ」
腰から折りたたまれるように大きく前傾したまま、岳士は頭頂から響いてくる声を聞く。
「まあ、俺を殴ろうとしたんだから、公務執行妨害だな」
番田は岳士のジャケットの右袖を掴むと同時に、素早く体を回転させつつ足を飛ばしてきた。
重力が消え、視界が真っ逆さまになる。ジェットコースターに乗っているような感覚。自分が何をされているか分からないうちに、岳士は背中から硬いアスファルトに叩きつけられた。肺から強制的に空気が押し出され、息ができない。全身に激痛が走る。
「払い腰だ。投げられるのははじめてかい?安心しろよ、大怪我させないよう綺麗に背中から落としてやったから」
顔を覗き込んできた番田は、ジャケットのポケットを探ってくる。岳士はなんとか抵抗しようとするが、全身の神経が麻痺したかのように、体が動かなかった。内ポケットを探っていた番田の顔に、肉食獣の笑みが浮かんだ。
「おい、これはなんだ?」
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