前回までのあらすじ
第二次世界大戦の勝利に沸くアメリカで生まれたマチルダは、ハリウッドで働く父の友人ロニーの導きもあり、映画に夢中になる。しかし時代は共産主義の粛清へと向かい、ロニーはそれまでの明るさを失っていく。やがて届いた訃報――ロニー事故死の知らせをきっかけに、両親はマチルダが映画に関わることを禁止する。反発したマチルダは家を出て、NYの「マルハウス・特殊メイク・スクール」へ。そこで造形師としての修業を積んだ彼女はロスへと移り住み、SFXの工房で働き始める。それから七年、ある日帰宅したマチルダを待っていたのは予想もしなかった、同居人リーヴの笑い声だった。ベトナム戦争で心身を病み、長年ふさぎこんでいたリーヴを久々に魅了したもの、それは、ユタ大学の女子学生モーリーンが語るコンピュータ・グラフィックスの未来で、マチルダにとってはまるで悪夢のような話だった。
七 マチルダ、一九七六年
飛行機のタラップを降りる最中から、マチルダの胃はきりきりと痛み、このまま気絶して救急車で運ばれてしまいたい、と思った。足止めを余儀なくされて、引き返す理由ができればいいのに――しかしJFK空港の廊下は長いようで短く、色とりどりのスーツケースをくるくる回しては違うところへ届けてしまうという、悪名高き手荷物ターンテーブルは、あっさりとマチルダの目の前でベージュ色のスーツケースを吐き出した。
久々のニューヨークは、あまり変わっていなかった。新しい建物はあるが、元々高層ビルだらけの街に十や二十ののっぽが増えたところで同じこと。美しい初夏の季節なのに、空は相変わらず狭く、歩道を埋め尽くす人の群れはせかせか歩き、渋滞だらけで、ひっきりなしにクラクションが鳴っている。地下から漏れる下水の悪臭は吐き気をもよおすほど強烈だし、スーツケースのキャスターにガムがへばりついて、動かなくなるのも相変わらずだ。アムトラックの薄汚い車輌の床にはビール瓶やミルクシェイクの容器が転がり、列車が揺れるたびマチルダは足を上げてゴミの襲来を避けた。
マチルダは、なるべくいつもと同じように振る舞おう、凪の海のように静かな心地でいようとしたが、フィラデルフィアの三十丁目駅に着いた時は、目頭が熱くなり、サングラスをかけていてよかったと思った。十九歳のあの日、列車にひとり飛び乗ったあの日から、三十丁目駅は何も変わっていなかった。王宮のように高い天井、砂浜のように柔らかな色の石壁、つるりとした木のベンチ。せかせかと歩くビジネスマンもいれば、のんびりしている家族も、外国からの観光客もいる。日の丸の旗を持った添乗員が、あちこちを指さしながら熱心に説明する中、カメラのフラッシュが明滅した。行ったり来たりしながらやっと酒屋で土産品を見繕ったものの、彼らは酒を飲まないのだとようやく思い出し、店員に睨まれながらどうにかこうにか理由を説明して返品した。
それから四十分ほどタクシーに揺られ、チップをはずんで運転手からスーツケースを下ろしてもらう間も、マチルダの頭の中はこれからのシミュレーションでいっぱいだった。まず、呼び鈴を鳴らす。それから懐かしのハグをして――うまくできるかしら――何ごともなかったかのように会話をする。でも、ひょっとしたら――これが一番恐れていることだけど――再会のハグもなければ互いを気遣う会話もなく、苛立たしい空気が流れて、来なければよかったと後悔するはめになるかも。