ひょんなことから深い仲になった友二郎や、その母お久米との関係には、おこうの変化が如実にあらわれている。おこうは、友二郎が自分を心底、愛しんでくれていることに気づいていた。大店の主人である友二郎と夫婦になれば安穏な暮らしができることもわかっていた。それでも、なし崩しに結婚しようとはしない。子を宿してさえ、自分は本当にそれで良いのかと心に問いつづける。他人ではない自分自身で、自らの人生を決めようとするのだ。
あたしの暮らしも変わろうとしている。変わろうと決めたのだから、とにかく一歩を踏み出さなくては……と自分に言い聞かせた。
人はたぶん、なにかをしてもしなくっても後悔するようにできている。だったら思い惑うのはもうよして、亀屋友二郎の女房になろう。
鮮やかな決断である。同じ結婚でも、最初の結婚とは全く違う。ここには、自ら苦労を受けて立とうとする気構えがある。起き姫ならではの心意気だ。結婚を作家という職業におきかえれば、章子さんの凜とした呼びかけが聞こえてくる。逃げてはだめ、自分の意志で一歩を踏み出しなさい……と。
章子さんは元気で前向きな人だった。もちろんお身体は元気でないときもあったが心が折れることはなく、人前で弱音を吐かないだけの気力を最後まで保ちつづけた。電話のお声は、病気の話をしているときでさえ明るく溌剌としていたものだ。お見舞いの電話をかけたつもりが章子さんに励まされ、はっぱをかけられたこともある。
章子さんと最初にお会いしたのは、某小説誌の対談の席上だった。美しい人だなあと見とれた。私は章子さんが直木賞を受賞された『東京新大橋雨中図』を持参していて、色褪せて汚れた初版本にどきどきしながらサインをしていただいた。そのあと化粧室でお会いしたら杖をついていらした。「これだからなかなか遠出ができないのよ」と、章子さんはにこやかにおっしゃった。このときは在住しておられる九州からご両親がつきそっていらしたそうで、子供のころ大病をされて足が不自由だということを私は初めて知った。
対談で印象に残っているのは、「市井に生きる名もない人々を書きたい」とおっしゃっていたことだ。余人が目に留めないささやかな出来事、ささやかだけれども一人一人の人生を左右する喜怒哀楽を丁寧に描く――というのが、章子さんの長い作家人生の一貫した姿勢だった。そのためには徹底して細部にこだわり、量より質、奇をてらうより地道に着実に……と、一作一作、心血をそそいで書いておられた。だからこそ、著作のすべてが完成度の高い秀作ぞろいなのだろう。
章子さんは小説を書くことに命を捧げた、と私は思っている。最初の出会い以来、章子さんの気風の良さに惚れ込み、たびたび長電話をするようになっていたのだが、病を得ても通常の治療を拒否されていると知らされ、私は何度も不安を訴えた。が、その点だけは頑なで、理由はなんと「書くために支障になるような治療はしたくない」というものだった。「命あるかぎり書きつづけたい」との強い信念がおありで、実際、逝去される数日前までホスピスでも小説を書いていらしたそうだ。
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