電話といえば、章子さんとの電話はとびきり楽しかった。話し出せば二時間三時間、止まらない。初めは各々の親の介護の悩みなど話していても、そのうちに章子さんの独擅場になって、餌をやっている雀のこと――章子さんは自宅の庭へ訪れる雀たちをこよなく愛していらした――や、隣人の噂話、日常のちょっとした出来事など、活き活きとした語り口はそのまま江戸時代の人情話を聞いているようだった。
最後にお声を聞いたのは、亡くなられる半月ほど前だったか。章子さんと同時期に同じ病に罹って闘病中だった宇江佐真理さんが逝去されたすぐあとのことだ。三人でよく電話をかけ合っていたこともあり、章子さんは「彼女のほうが早かったのねえ……」と静かな声で言われ、しばらく絶句されていた。そのあとは「大丈夫よ。私はまだ書いているから」ともう元気なお声になって、動転している私が百倍も千倍も辛いはずの章子さんに元気づけられるという、今思えば不甲斐ない会話になってしまった。
章子さんは、数々の試練を乗り越え、辛苦を書く力にかえて、起き姫のように転んでも倒れても小説に挑まれた。最終話の「ふたたびの浮き世」では、三春屋がおこうからお関に引き継がれる。今後はお関が口入れ屋の主人として様々な出会いや別れを経験してゆくはずの、新たな始まりの物語だ。病の最中にありながら、章子さんはこの後の展開も考えていらしたのだろう。おそらく『信太郎人情始末帖』や『お狂言師歌吉うきよ暦』のような人気シリーズに育てるつもりだったのではないか。続きが読めないのは哀しいけれど、章子さんの心の中で『起き姫』がまだまだ続いていたのだと思うと嬉しい。
この解説を書きながら、私はときおり指を伸ばして机の上においた起き姫をちょんとつつき、愛すべき豆人形が章子さんのようなおっとりやさしい笑顔で起き上がるさまを眺めている。赤と青、雛人形のように対になった起き姫は、章子さんが亡くなられて間もないころ、追悼対談の席で、中村彰彦さんが〈章子さんの形見に〉と下さったものだ。私などより遥かに長い交流がおありの中村さんは、章子さんの小説への深い思い、真剣な取り組み方や豊富な知識を絶賛され、親しい友に先立たれて悲しむだけでなく、時代小説界の優れた書き手を喪った無念さをくりかえし嘆いておられた。
章子さんはもう、起き姫のように起き上がることはない。けれど、章子さんの珠玉の小説がこれからも読み継がれ、一人でも多くの読者の胸に生きつづけるなら、章子さんはきっと目に見えない起き姫として何度でも起き上がるに違いない。私はそう信じている。
章子さんの不屈の精神が、本書を読んで下さった皆様一人一人の胸に刻まれ、受け継がれてゆきますように。