赤い風車、そして影踏み鬼。
どちらも頑是ない、幼子の玩具と遊びだ。
『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』では、これらがじつに象徴的に用いられている。
風車は幕末という時代の風に吹かれた無辜の民、なかでも女性や子供を想起させる。その一方で、いかなる風に揉まれようとも風車は風車であり続ける。
しかし〈影踏み鬼〉という鬼ごっこでは、己の影を踏まれた者が鬼となる。殺らねば殺られる、ロールプレイングゲームだ。
葉室麟さんは、新撰組が辿った血腥い負の連鎖を、まさにこの〈影踏み鬼〉だと喝破した。そして影を踏もうとして襲いかかる者の殺気と踏まれまいとして逃げる者の恐怖が物語の鼓動となって、響き続ける。
主人公は新撰組の諸士取調役兼監察、柔術師範の任にあった篠原泰之進だ。彼は慶応元年(一八六五)、伊東甲子太郎を追って新撰組に参加した。
なぜ創成期メンバーではなく、泰之進を主人公に選んだのか。
それを明らかにする前に、幕末当時に遡っておきたい。
文久三年(一八六三)八月十八日、朝廷において、公武合体派が尊王攘夷派と急進派公卿らを追放した。
後に、「八月十八日の政変」と呼ばれるクーデターである。
この日、芹沢鴨に率いられた浪士団は尊攘派の長州勢が引き揚げる際、仙洞御所の南門前に配置されて警固に就いた。
――壬生浪人と号し候者ども、五十二人一様の支度致し、浅黄麻へ袖口のところばかり白く山形を抜き候羽織を着し、騎馬提燈へ上へ赤く山形を付け、『誠忠』の二字を打抜きに黒く書き置き候。大将分の芹沢鴨・近藤勇と申す者は小具足、烏帽子を冠ぶり、鉄扇を取り、具足櫃に腰打ち掛け、さもいかめしく控え居る。(北原雅長『七年史』/野口武彦『天誅と新選組』新潮社)
そして同日、彼らは朝廷の武家伝奏によって正式の名称を与えられる。会津藩にも壬生の浪士としか認識されていなかった草莽の浪士団が、ついに「新撰組」という公の存在になったのだ。
新撰組を構成する隊士の多くは剣術を習い覚えた百姓身分出身者か、長年、出自によって抑圧されてきた脱藩浪士らである。折しも、旧来の武士層は弱体化し、戦士としての戦闘能力を失っていた時世だ。彼らは武士の現実に憤慨し、本来の凜乎たる士道を探って実践しようとした。世はまさに、彼ら草莽による回天を求めてもいた。
新撰組の局中法度書の冒頭には、次の一条がある。
一、士道ニ背キ間敷事
装束はかのダンダラ羽織に、旗印は〈誠〉〈忠〉の文字。〈誠〉の解釈はさまざまあるが、士道においては“自らへの見返り、報酬を求めない精神”を指す、と解してよいだろう。