しかし皮肉にも、この後、新撰組を支配する近藤勇や土方歳三は、自らへの報酬、つまり旧来の〈幕臣〉というアイデンティティを狂おしいまでに希求することになる。新撰組は上層部の〈身上がり〉のための暴力装置と化し、行く手を阻む者は容赦なく策略に嵌め、抹殺する。
葉室麟さんが篠原泰之進を主人公に選んだ理由の一つにまず、彼がこの新撰組と袂を分かった人物であるということが挙げられるだろう。そしてもう一つ、郷里が同じ九州、久留米であることも頭に浮かぶ。
だが、果たしてそれだけなのだろうか。
私は葉室さんに直接伺ってみたくなり、電話インタビューを試みた。二○一七年八月十五日の夜、いつもながら穏やかな口調で、けれど淀みなく答えてくださった。
篠原泰之進を主人公に選ばれたのは、出身地が同じ久留米であることが大きかったのですか?
「いや、新撰組の中で泰之進がいちばん好きだからですよ。司馬さんの『新選組血風録』の最初に採り上げられているのが泰之進なんだけれども、最も心に残る生き方だと思った。ご承知の通り、僕の作家としての原点は司馬さんにあるから、新撰組の中で誰を書くかと考えたら泰之進だった。その次に、同じ久留米出身だという土地性がある。地元には泰之進が書いたものも残っていたので、その史料によって実像に迫ることができました」
泰之進は久留米の石工の息子であったけれども、幼少の頃から武道を嗜み、剣術や槍術、そして良移心当流柔術の達人でもあったんですね。
「久留米は江戸時代から柔術が盛んな土地で、僕も親しみがあるんです。それに、新撰組はいまだに剣戟がドラマチックに扱われるけれども、柔術は敵を殺すための術じゃない。そこにも僕は惹かれるんだと思う。(しばし沈黙があって、低い声でポツリと)人殺しはね、やはり厭なものですよ。新聞記者時代に、凄惨な現場を目の当たりにしてきたからね。とくに組織の内部粛清、内ゲバが、僕は心底、嫌いなんだ」
志を同じくして集まったはずの組織で権力を握った者が、いかに逸脱していくか。時代としては逆ですけれども、新撰組の末期の様相は連合赤軍の内ゲバを想起させられます。影を踏まれた者が鬼となり、踏んだ相手を追いかける。
「そう。内部粛清、内ゲバの陰惨さが今も躰の中に残っているから、僕は小説で人殺しを美化することはしません」
『影踏み鬼』の中で、泰之進にこう語らせていますね。“ひとは出自じゃない、今やっていることがきれいかどうかだけだ”と。近藤や土方の生き方とは対照的だし、彼らの末期をヒロイックには捉えていない。
「何が美しいのかと考えた時、生き延びることこそだと思うんですよ。当時、新撰組を脱けるとなったら、死しかない。しかし泰之進は凄まじい時代の潮流の中を、生き延びた。だから『影踏み鬼』の冒頭も、新撰組とは別の道を歩き始めた赤報隊の場面から始めたんです」
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