泰之進は自身も鬼と化したと自覚しながらも、明治のほぼ末年まで生き抜きますね。
「僕は、生き延びる奴が好きなんだ」
その言葉を聞いて、腑に落ちるものがあった。
斎藤一だ。沖田総司、永倉新八と並んで新撰組最強の遣い手とされる斎藤は殺人嗜好者のごとく描かれる場合も少なくないが、『影踏み鬼』での彼は不気味さの中に飄々とした、少し切ないような可笑しみを湛えている。葉室さんはなぜ、斎藤をそう描いたのか。
やはり彼も、生き延びた者であったからなのだろう。明治になって泰之進と再会した斎藤に、葉室さんはこんな台詞を語らせている。
――だから、わたしは思うんですよ。亡びないのはひとり、ひとりの生き方だけだってね。
そして作中、“時流に吞み込まれた”坂本龍馬の死を、泰之進の視点で幾度も惜しんでいる。彼は権力に拘泥することなく、為すべきことを為せば次の仕事が見える稀有な人物だった。“自らへの見返り、報酬を求めない精神”を有していたのだ。
さて、電話インタビューに応えて下さった葉室さんの口から、司馬遼太郎の名前が出たことに多くの読者は驚かれないだろう。『影踏み鬼』の単行本が上梓されたおよそ二年後の二○一七年、葉室さんは第二十回司馬遼太郎賞を受けられた。この受賞に、誰もが深く頷いたものだ。
葉室さんは司馬作品のみならず司馬遼太郎という作家の生きようを敬愛し、常に自身の“使命”として歴史と対峙し続けている。そして現代に生きる者として、今の日本に連綿と残る“鬼相”から目を離さない。自身の足で歩き、書かねばならぬことを書く作家なのである。
ゆえに新撰組を描いても、もしかしたら第二次大戦時の日本軍のありようも念頭に置いておられるのかという推察が過って、インタビューの最後にそのことを訊ねてみた。
日頃、口癖のように「戦後はまだ総括できていない」とおっしゃっているからだ。
すると、葉室さんは「うん」と即答した。
「それについては、これからの仕事で明らかにしていくつもりです」
表情はむろん見えないのだけれど、声に力が漲っていた。私は後輩作家のひとりとして、その仕事を粛とお待ちする。かつ、身の引き締まる思いもした。
生き延びろ。そしていつか、この志の一滴なりとも汲め。
葉室さんが、そう言ったような気がしたからだ。
ところで、幕末の志士の間では英語の習得が流行した。
長い間、日本人にとっては「阿蘭陀」という単語が異国総体の概念であったが、諸国の来航、干渉によって、英国、仏蘭西、米国など、一つひとつの国家が認識されたのである。その世相、時代の転換を、『影踏み鬼』では見事な一言に凝縮させている。
そしてラスト、生き延びた泰之進の胸にまたその言葉が泛ぶ。禍々しい負の連鎖であった〈影踏み鬼〉が、見事に浄化される場面だ。
歴史に向き合う葉室作品の根底には、いつもこの清い情感が流れている。
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