- 2017.11.29
- 書評
寄り添えるかもしれないという希望は、手におえる男ではないと打ち砕かれる、影山という男
文:壇 蜜 (タレント)
『ブルース』(桜木紫乃 著)
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
『ブルース』が新刊として世に出された時、帯コメントを担当した。「話中の女として自分が存在したかのように読んで、主人公に抱かれたような気持ちで読み終えた」という趣旨の言葉を綴り、顔写真つきで採用された。帯コメントは売り上げを左右する要素のひとつ。果たして貢献できたのだろうかと気になっていた。『ブルース』が発売され少し経った際、雑誌で作品の解説のような、感想のような文章を依頼される。当時の私はまだ「話中の女のひとりの気分」であった。その結果、解説的なものを求められているにも関わらず、あたかも「実は私は作品の中にいたのです。あの話の中には登場していなかっただけで……」と言わんばかりの、架空の女(自分がモデル)が綴った手記のようなものを書いた。自分は主人公の影山と繋がりがあった……、という私のおかしな妄想を、依頼された仕事の応えにしたのだ。よく桜木先生はじめ関係者の方々は私を「こいつ大丈夫か」と思わず対応してくれたものだと思う。発行されてからの解説も売り上げに関わるだろうに。桜木先生はその後この妄想を受け入れ、「返事」として新作の短編も書き上げて下さった。影山と私が出会うパートを新たに創造されたのだ。今でもコトの流れを思い起こし記していると背中がぞくりとする。「当時の私、よくこんな恐れおおいことができたもんだな」と。作家をつかまえて自分の創作を押し付けるなど失礼千万、と叱り飛ばされてもおかしくない状況を優しく受け入れてくださった桜木先生にこの場をかりて感謝の意をお伝えする。
あれから三年が経過しようとしている。私は相変わらず世間から忘れられたり思い出されたりの波のなか、人から好かれ嫌われる日々を過ごしている。特に不祥事も起こしてはいない。三年前に何となく予想していた想定内の三年、とマネージャーも言う。ぼちぼち、まあまあの売り上げと成果。予想外の出来事といえば最近、「ずんだ」と言った私の唇が少し世間をざわつかせたくらいだろうか。三十六歳、己の唇の破壊力をこんな形で知ることになるとは思わなかった。ざわつきが落ち着いた頃、また『ブルース』に出会う。今度は文庫化の解説依頼だった。改めて作品を読み返す。まずは釧路の寒さに関する描写が、現実に読んでいる私の周囲の気温を下げていく。湿った男女のやりとりや、出会う女に救いも失意も与える影山のシルエットが冷たくなった私の体に溶け込むように流れ、「作品のなかに入りたかった私」が心を占めていく。あっという間に戻れるものだと驚いた。出会いたかった……と思いながら読んでいた三年前と変わらぬ自分がいたことに、成長していないと嘆く気持ちはない。むしろいまだに「作品として距離を置いて読まぬ自分」でいられたことが嬉しいくらいだ。影山に寄り添えるかもしれないという希望を持たされ、でも手におえる男ではないと打ち砕かれ……。心と体をばらばらに切り離されて値踏みされ……。ああ、こんな妄想していたっけなと後ろ歩きする気持ちで読み進めていった。
影山と関係するそれぞれの女たちは皆何かしらに困窮している。死別で、離婚で、借金で……誰かや何かにすり減らされてひりひりと痛むような乾いた心を持っている。女たちは皆まっとうになりたくない訳ではないのに、どういうわけか好転しない状況。そこにある程度の「まっとう」を手に入れ、今もなお貪欲に模索している影山が現れる。ひかれない訳がない。逆境を味方につけた匂いをかもす男として女たちに差しのべられる手に指が六本あったときも、六本めの痕跡だけになったときもあっただろう。どちらの状況でも、私ならそれを振り払う強さはない。もしかすると、影山の指が六本なのは、より多くの困窮にあえぐ者にチャンスを与えるために余分に備わったのではないかとすら思う。自らの手でその余分を切り落としても、透明な六本目の指が出会いのセンサーとなって彼の中に補完されていることも妄想した。影山と「指切りげんまんしたいな……」というしょうもない欲望に変化するのも早かったが。
やはり作品と私との関係は三年前のまま。年はとった。しかし自分を取り巻く環境は大きく変化していない。強いて言うなら、男が一回変わったくらいだ。これからも影山と指切りげんまんしたい自分を葬り去ることなく、のろのろ生きていこうかと。桜木先生、またお会いしたいな……。