書評

英雄を一刀両断する数々の評言が、塩野七生の「女の肖像」を浮き彫りにする

文: 楠木 建 (経営学者・一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授)

『男の肖像』(塩野七生 著)

 こうしたスタイルは、例えば、同じように多くの読者を獲得した人気歴史小説家、吉村昭の対極にある。史実と証言の徹底的な取材と検証にこだわり、ファクトの記述を淡々と貫くことによって、吉村は「戦記文学」というジャンルを確立した。

 もちろん著者にしても広範にして膨大なファクトに目を通した上で書いているに違いない。しかし、それにしても作品に表れる記述は主観的で感覚的である。情緒的といってもいい。どちらが良いという話ではない。はっきりと違うのである。

 先に引用したように、著者が歴史教科書で見たペリクレスの胸像の写真は「ななめ右前方から」のものだった。当時の教科書が手元に残っていたわけではあるまい。彼女は何十年も前に見た写真をありありと記憶しているのである。いかに感覚が鋭敏で、対象に入れ込んでいるかを物語るエピソードだ。

 もちろん作家は誰しも対象にのめり込む。国民的歴史小説家である司馬?太郎の一連の作品があれほど多くの人を魅了したのも、司馬が対象に徹底的にコミットしたからこそである。

 しかし、塩野七生はのめりこみ方が違う。これにしても程度問題としての違いではない。対象へと入っていくスタイルが違うのである。

 司馬は対象をありとあらゆる角度から俯瞰し、全体像をつかみ、歴史を「見てきたように」書く。『坂の上の雲』を読んでいると、まるでその時代に居合わせて、特等席で日本海海戦の大パノラマを観ている気分にさせられる。

 歴史の現場に読者を連れて行ってくれるところまでは塩野七生も同じだが、彼女の場合は対象を客観的に俯瞰しているというよりも、彼女自身が同時代人で、対象と同じ世間を共有し、そのすぐ傍らにいる感じがする。「見てきたように」というよりも、日常的に「つきあっている」ように書く。ここに著者に独自のスタイルがある。読者からしてみれば著者に友人を紹介されるようなもので、登場する歴史的人物と自然とおつき合いができる。

男の肖像塩野七生

定価:本体830円+税発売日:2017年11月09日