アムステルダムにあるアンネ・フランク・ハウスで、初めて目にした赤い格子模様の日記帳は、ぎっしり詰まった中身のせいで表紙が膨らんでいました。その様子が、隠れ家に身を潜めながら、心の内にはあふれんばかりの思いを抱えていたアンネの姿に重なり、思わず、ガラスケースの向こうに大事に飾られている日記帳を抱き締めたい気持ちにかられました。
日記帳にはアンネの描いた言葉の空が果てしなく広がっています。そこは、彼女が唯一、自由を味わえる場所でした。時に、言葉とダンスするような無邪気さと愛らしさで、時に、格闘するほどの真剣さと思慮深さで、彼女が空に残した軌跡は、実は日記という枠に収まりきらないスケールの大きさを持っています。窓に覆いのかかった、隠れ家の小部屋の机で書かれたのは、決して単なる少女の独り言ではありませんでした。彼女が持っていたのは、もっと高く奥深いところを舞うことのできる翼でした。彼女は架空の友人キティーを生み出します。最良の読者、キティーを鏡にし、そこに映る自分と濃密な対話をします。そうした中から自然と、童話やエッセイも綴られてゆきます。閉じ込められた体の不自由さと反比例するように、文字通り表紙を膨らませるほど、言葉は日記帳からあふれ出していたのです。
本書は『アンネの童話』とタイトルがつけられていますが、日記と切り離されるものではありません。彼女の生きた証という意味では、残された言葉はすべて、同じ空を彩る虹です。
ここに収められた作品を読むと、改めて彼女の観察力と、言葉の感覚の鋭さに驚かされます。目には見えない想像の世界に、独自の視点から光を当て、生き生きとした手触りを与える。あるいは自分の体験を題材にする時は、一旦距離を置き、冷静に細部を見つめ、立体的な像を浮かび上がらせる……。と、こんなふうに書くと技術的なことを褒めているように思われるかもしれませんが、そうではありません。彼女は言葉が人間にとってどれほど重要な役割を果たすか、ほとんど本能的に理解している人でした。自分の内面を言葉という形あるものに託す、その託し方が率直で、切実なのです。
例えば、『カーチェ』で描かれるのは、アンネとは全く異なる境遇にいる少女であるにもかかわらず、登場人物に対する作者の親愛の情が行間に染み込んでいます。カーチェが誕生日祝いにおかあさんにねだるのは、動物園の入場券だけ。その深い青い目の奥が、カーチェが嘘つきでないことの証明。他の誰も触れたことのないカーチェの心の泉から、澄んだ水をそっとすくい上げるようにして、彼女の本質をつかみ取っています。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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