別冊文藝春秋

『セルロイド』葉真中顕――立ち読み

文: 葉真中 顕

電子版17号

 聞き覚えのある台詞が耳に飛び込んで来た。毎週日曜日の朝にやっている女児向けの人気アニメ『プチラブ』で主人公が変身するときの台詞だ。

 見ると、通路を挟んで反対側のボックスシートで小さな女の子が、スティック型の玩具を手にしている。ボタンを押すと、キャラクターの台詞が再生されるようだ。

 隣に座る母親が慌てて「りっちゃん、電車の中で音出しちゃ駄目よ」と、玩具を取りあげる。「ええ、嫌だ、もっと、もっと」と、女の子がぐずる。

 女の子と向かい合って座っていた父親が「りっちゃん、じゃあこれで『プチラブ』観ようか」と、足もとに置いてあったバッグからタブレットを取り出して、女の子に渡す。

「え、いいの?」

「ああ。でも電車の中だから、これするんだぞ」

 父親はイヤホンも取り出すと女の子に渡した。

「わかった」

 女の子は手慣れた様子でタブレットにイヤホンを差し、耳に装着すると、画面をタップする。私の位置からは画面は見えないけれど、アプリで『プチラブ』の動画を観るんだろう。見たところ、まだ未就学の四歳か五歳くらい。それであんなにさくさくタブレット使うんだから、今の子ってすごい。

 なんて感心しつつ、彼女が観ているのが海賊版ではなく正規版の動画であることを祈った。業界人の端くれとして。

 服装や荷物からして、連休を利用して親子三人でどこかへ旅行にでも行くのだろう。

 家族旅行なんてしたことなかったな――。

 母と二人で仙台のお祖母ちゃんの家に遊びに行ったことはあるけれど、親子三人で行楽地などに出かけたことは、一度もない。

 同級生の中には、夏休みやゴールデンウィークに、東京や北海道、中には海外まで旅行に行く子がいて、小さな頃、随分と羨ましく思っていた。

 何度か両親に「私も旅行に行きたい」とねだったことがあったが、いつも父に却下された。理由は二つあった。

 一つは勉強。「そうやって他人が遊んでいるときこそ、一生懸命勉強するんだ」と父はいつも言っていた。

 もう一つの理由は、父の仕事。県庁幹部だった父は、土日も祝日もなく毎日、県庁に出勤しており、たまの休みも「俺が県外に出るわけにはいかない」と、基本的には自宅で過ごしていた。

 ――いいかい七瀬、価値のある仕事というのはね、人の役に立つ仕事なんだよ。お父さんは、そういう仕事をしているんだ。

 耳にタコができるくらい、父から聞かされた台詞だ。

 けれど結局、私は父が望むような仕事には就かなかった。

 大学四年の冬、アニメ制作会社から内定をもらったと報告したとき、父は見知らぬ国のゲテモノ料理を前にしたように「アニメ?」と、顔をしかめた。少なくとも歓迎しているようには見えなかった。

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