そして父は、つまらなそうに「そうか。まあ、いいんじゃないか」とだけ言った。「いい」と言われても、認められたという感覚はまったくなかった。この「いい」はきっと「どうでもいい」の「いい」なのだから。たぶん父からすればアニメの仕事は、人の役に立つ仕事、父の言うところの“価値のある仕事”ではなかったのだと思う。
「失礼します、特急券を拝見いたします」
車掌が、検札にやってきた。白い制服を着た、女性の車掌だ。歳は三十前後だろうか。肩くらいまである髪を束ね、制帽を被っている。
私は、ポケットから特急券を出して車掌に見せた。
「はい、ありがとうございます」
車掌はスタンプを押すと、丁寧にお辞儀をして特急券を返してくれた。
車掌は隣の家族連れの席に移る。その様子を何となく目で追った。
最近では、女性の車掌も珍しくない。
もしも私が鉄道会社に就職していたら、父の反応も、少しは違っていたような気がする。
電車を動かす仕事が人の役に立っているのは、たぶん間違いない。鉄道会社の職員という仕事には、価値がある。
じゃあ、アニメの監督は?
価値がある――と、断言したいところだけど、正直、よくわからない。
ものの価値は、誰かが一人で決めるものじゃない。「人の役に立つものこそ価値がある」という父の考えは、きっと正しい。
もちろん、人の役に立っているアニメはたくさんある。人間には娯楽が、物語が必要だ。まさに今、すぐそこで女の子が夢中になってる『プチラブ』だってアニメだ。子どもを楽しませるだけでなく、玩具メーカーも儲けさせている。多くの人に愛され、必要とされている作品だ。価値がある。
でも、毎週何十本も放送されているアニメの全部がそうだというわけじゃない。玉石混淆。多くの人を感動させてビジネスとしても成功する作品がある反面、あってもなくても一緒、観るだけ時間の無駄と思えるような作品だって少なくない。
私の『CAGE』はどうなんだろう? いっぱい悩んで、たくさんの人の力を借りて、迷惑もかけて、一生懸命つくっている私の作品は?
前の『ハルカロード』については、たぶん価値があったんだろうと思える。『CAGE』はどうなのか、自信がない。もちろん、私は価値があると思ってつくってる。でも、それを決めるのは私じゃない。
ああ、そうか。だから、怖いのか。
私は自分を突き動かすこの恐怖の正体に、今更ながら、気づいた。
単に批判されるのがつらいだけじゃない。不本意な作品をつくるのが嫌なだけでもない。
自分の仕事が無価値かもしれないことが、怖いんだ。
こんな思いをして作り上げた私の作品に価値がないかもしれないこと。それが、怖い。それは、私という存在に価値がないのと、ほとんど同じことなのだから。そして、四十になろうという私には、もう他の道なんて、たぶんないのだから。
窓の外の景色は流れてゆく。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。