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〈恐怖の帝王〉スティーヴン・キング、その続編にして集大成にして新境地!

〈恐怖の帝王〉スティーヴン・キング、その続編にして集大成にして新境地!

文:有栖川 有栖 (作家)

『ドクター・スリープ』(スティーヴン・キング 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『ドクター・スリープ』(スティーヴン・キング 著)

〈キャリーが怒ると石の雨が降る〉

 このコピーが、私にとってスティーヴン・キング史の幕開けである。

 主人公はサイコキネシスの能力を持つ少女。彼女が母親の虐待とクラスメイトのいじめに耐えた末に、恐ろしい破壊を引き起こす『キャリー』(キングのデビュー作)が日本で出版されたのは一九七五年で、私は高校一年生だった。ある日の朝刊で前記のコピーを掲げた広告を目にし、「これだけではどんな物語なのかさっぱり判らないが、きっと面白い」と確信し、単行本を手に取ったら──読む前に見た新聞広告まで忘れられない一冊となった。

 第三作の『シャイニング』も、大学生の懐には痛いハードカバーの上下本を買って読んだ。帯にはスタンリー・キューブリック監督による〈映画化〉が謳われていて、「この作家のすごさは日本ではまだ広まっていないけれど、アメリカではもう周知のことなのか」とうれしく思ったものだ。当時はモダンホラーどころかホラーという言葉も日本では一般的ではなく、私は恐怖小説とかオカルト小説と認識していた。

 その後、キングがたちまち〈ホラーの帝王〉の座に駆け上がっていき、世界的な人気作家として旺盛な執筆活動を現在に至るまで続けているのは読者もよくご存じのとおり。高校生時代にデビューを目撃して「これは大物になるね」と感じ(上から目線)、それがかくも鮮やかに現実のものとなったのはキングとエアロスミスぐらいで、自分は伝説の始まりから立ち会っている同時代のファンだ、という意識を抱いている。

 作品の質・量とも怪物的で、映像化されて大ヒットした作品がたくさんあるキングの代表作はというと、ファンの間でも意見が分かれるところだろうが、投票をしたら前述の『シャイニング』がベスト3にランクインするのは固い。本書『ドクター・スリープ』は、その続編である。

 前作を受けての物語ながら、いきなりこの作品から読んでも楽しめるし、主人公ダニーの過去に何があったかについては作中で何度も言及されているが、『シャイニング』について簡単にご紹介しておこう。

 外界から孤立し、冬季は閉鎖されるオーバールックホテルに小説家志望のジャックとその妻ウェンディ、息子のダニー(五歳)がやってくる。ジャックは、春まで広壮な豪華ホテルの管理人を務めながら創作に打ち込むつもりだった。ところが執筆は捗らず、彼の苛立ちは募るばかり。超能力〈かがやき〉を持ったダニーは、ホテルに不穏なものを感知して怯える。ここでは、かつて世にも無惨な事件が起きていたのだ。ジャックはホテルに巣食う禍々しい力に取り込まれていき、錯乱して妻子に襲いかかる──。

「読んでいないが映画で観た」とおっしゃる方にお断わりしておくと、当然ながら映画には改変が施されており、しかもそれに原作者キングはいたく立腹していた(いや、まだ怒っているらしい)。あまりに不満だったので、自身が脚本を書いてドラマにリメイクしているほどだ。

 ジャックの内面、ホテルの在り様、ダニーの超能力などの描き方が原因だが、ラストにも大きな違いがあるので、未読の方にはご一読をお薦めしたい。力ずくで物語を結ぶキングにしては珍しく(?)伏線が周到で、「そりゃ、そうなるわな」という壮快なカタルシスが味わえる。

『シャイニング』は、もはやモダンホラーの古典的名作だ。キングがキューブリック監督の仕事を強く否定したのも、小説が会心の出来であったからこそであろう。続編を書こうと考えた経緯については、〈作者のノート〉に詳しい。続編執筆はキング自身にとっても思いがけない事態だったらしく、ファンとしては驚くばかりだった。

 驚きながら「あれの続編をどう書くのか? 無理はしないでもらいたい」と案じたりもしたが、そんな心配は〈ホラーの帝王〉に無用であった。決着がついたと思ったらついていませんでした、などと前作の余韻を損なったりはせず、作中の時間は大きく飛ぶ。

 ダニーは中年になっている。他人にない〈かがやき〉は彼を幸福にはせず、むしろ生きる上で重荷となった。ホラーやSFに登場する超能力者にはお馴染みの哀しい定めだ。しかも、父をあれほど苦しめたアルコール中毒に彼も悩まされ、オーバールックホテルでの恐怖の記憶が甦ることもある。

 つらい運命を背負ったダニーが、ホスピス職員となって死にゆく人たちに寄り添っていることは、自他にとってせめてもの救いと言える。タイトルの〈ドクター・スリープ〉とは、そんな彼についた職場での仇名だ。

 あまりにも孤独なダニーだったが、ある時、自分と同様の能力を持つ少女アブラの存在を知る。遠く離れた町で暮らしていても、二人の能力は距離を超えて感応し合えたのだ。しかし、それは新たな恐怖の幕開けでもあった。距離を超える能力は、子供の〈かがやき〉=〈命気〉を生きる糧とする〈真結族〉にも伝わり、アブラは命を狙われることになってしまう。

 少女の居場所を懸命に探る残忍な魔性の者たち。その危機を正しく理解できる人間はダニーしかいない。じりじりと迫りくる〈真結族〉とダニーの闘いが始まった。

〈ホラーの帝王〉は怖いものを日夜探して、「よし、これでいこう」と決めたら、とことん練り上げて私たち読者に突きつけてくるのだが、今回の恐ろしさは〈隠れんぼ〉や〈鬼ごっこ〉に通じる。物語が進むうちにダニーたちと〈真結族〉の攻防戦の様相を呈していくところが前作『シャイニング』とは趣が異なり、怖いと同時に、とてもスリリングなのだ。

 まだ本編をお読みになっていない方のために、これ以上はストーリーについて言及しない。

 私は、冒険小説的な興味を多分に含んでいるような印象を受けた。予想外ではあったが、ホラー小説としての恐ろしさは充分だし、抜群に面白い。デッサンの緻密な日常描写も、考え抜かれた手順で恐怖を積み上げていく剛腕もいつもどおりで、キング節が満喫できる。

 何しろ、あの『シャイニング』の続編だ。作者としても力が入らないわけがない。下手をすれば、前作が獲得した評価まで引き下げてしまいかねないのだから、『ドクター・スリープ』の執筆自体が巨匠の果敢な挑戦であり、冒険でもあったはず。

 キングのファンならば、『呪われた町』や『グリーン・マイル』といった先行作品のエコーをあちらこちらで聞くことができるだろうし、不可能を可能にする職人業とも言える作劇術は(まったくタイプは違う小説だが)『ミザリー』のある部分にも通じる。自身の集大成にかかったか、という観さえあるのも当然で、この作品の執筆時にキングの作家歴は四十年に達しようとしていた。

 これ以上はストーリーについて言及しない、と書いたけれど、もう少しだけ踏み込む。

 後半に入っていくにつれ、「なるほど、今回はこういう怖さか。こういう敵か」という私の認識から物語は次第にズレていき、〈真結族〉が不死身の怪物ではないことが見えてくる。これもキングのうまさだ。恐るべき敵というのは手強く描けばいいというものでもなく、フィクションであるのをいいことに作者が調子に乗って強くしすぎると、説得力のある決着がつけにくくなる。「いったい、どうなるのだろう?」と思っていたら、最後に「どうにかなりました」あるいは「どうにもなりませんでした」となりかねないから。

 それだけではなく、実は〈真結族〉の弱さこそ、キングが書きたかったことの核心の一つにも思える。

 キング作品に限らず、ホラー小説には死の影がつきまとうものだとはいえ、『ドクター・スリープ』ではそれがことに濃厚である。作者の内面が影響しているのか、死そのものが物語のテーマだ。

 パワーの塊のごときキングは一九四七年生まれ。七十歳となり、作品の力強さはまるで衰えていないものの、日々の中で死を意識する機会は増えているだろう。彼の場合、五十一歳でひどい交通事故に遭い、九死に一生を得ているだけに、なおのこと。書いているものがホラー小説というエンターテインメントだとしても、死に対する想いが作品に反映されない方がおかしい。

 キングが『ペット・セマタリー』を発表したのは、三十六歳の時。交通事故で死んだ幼い息子を生き返らせようとする父親の物語で、あまりにも不吉であるため、しばらく妻が出版に反対していたという。当時のキングにとって、最大の恐怖は可愛いわが子を不慮の事故で亡くすことだったのだろう。だから、そんな小説を書いてしまった……。ならば、加齢による心身の衰えを感じ始めたら、その先にある不安と恐怖を小説にしないわけがない。

 これからもキングは読者を圧倒するほどパワフルな作品をしばらく書き続けるだろうが、彼の上にも老いは確実に訪れ、作品に変化をもたらすに違いない。「老いて衰えるのが怖い」というだけの浅薄なものではなく、人間の生が有限であることの苦さをにじませた滋味ある小説(それは飛び切り怖いホラー小説でもあるかもしれない)で独自の境地を拓くのではないか。青春小説の瑞々しい名作『スタンド・バイ・ミー』の作者でもあるキングだからこそ、そんな期待をかけたい。

 冒頭で書いたとおりキングの小説をデビュー当時から愛読してきた私のファン歴は四十余年になる(ちなみに彼と私はちょうどひと回り違い。キングは亥年生まれです)。ずっと伴走してきた「同時代のファン」であればこその望みであり、予感でもある。

 ただし、アメリカ流の侘び寂びといった枯淡をホラー小説に持ち込んでほしいわけではなく、キングらしく厚切りステーキみたいにボリューミーでパワーがみなぎった作品で感嘆させてもらいたいものだ。新境地は、この『ドクター・スリープ』からもう始まっているのかもしれない。

文春文庫
ドクター・スリープ 上
スティーヴン・キング 白石朗

定価:1,155円(税込)発売日:2018年01月04日

文春文庫
ドクター・スリープ 下
スティーヴン・キング 白石朗

定価:1,188円(税込)発売日:2018年01月04日

文春文庫
シャイニング 上
スティーヴン・キング 深町眞理子

定価:1,320円(税込)発売日:2008年08月05日

文春文庫
シャイニング 下
スティーヴン・キング 深町眞理子

定価:1,012円(税込)発売日:2008年08月05日

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