最後に──読み返すほどに人間への興味が深まる本書の魅力は、かくも多彩な〈男〉と〈女〉の生きる姿が、収められた九篇中の五篇において〈少年〉のまなざしで語られている点にもある。見たもの聞いたものをまっすぐ受けとめる体力を備えた瞳。解釈に長(た)けた大人たちとは別種の強さをもって、彼らは世界に立ちむかう。そして大概は敗れるのだが、その先に広がる彼らの未来──目の前の悲劇を飛びこえた先にある可能性が、読み手に救いを残してくれる。
その観が顕著な「階段」では、主人公の〈私〉が高校時代に陥った地獄の日々を回顧する。父親の暴力に起因する頭痛に苦しむ母親が、よかれと思った兄の助言で酒を口にする。たちまちアルコール中毒となり、金を持てば酒で使いはたし、酔っては市電のレールに寝転んで「轢(ひ)いてえなァ」と肌も露わな醜態を晒す。父親はとうに蒸発しているし、兄の助けも得られない。この辛苦を極めたどん底で、〈私〉はもはや母と言えない母と暮らすアパートの階段に来る日も来る日も座りつづける。彼にはまだ母親を助ける力はない。母親を殴りたい衝動にも、金への誘惑にも抗(あらが)えない。それでも、少なくとも彼は逃げずにそこへ留まりつづける。自らの暴力性や邪(よこしま)な心から目を逸らすことなく向きあい、母親の側に居続けることで、彼はやはり母親を守っていたのだと思う。
最後の一語まで吸い尽くすように読み、ぱたんと本を閉じる。よし、と思う。四の五の言わずに生きていこう、と。それが宮本輝の小説だ。
こちらもおすすめ
プレゼント
-
『皇后は闘うことにした』林真理子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/29~2024/12/06 賞品 『皇后は闘うことにした』林真理子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。