もうひとつの「歴史の終わり」へ
「歴史の終わり」といったとき、思想的にはことなる2つの意味があります。ひとつはヘーゲル的な終わりで、「もうこれ以上進歩しようのない、最終状態に人類が到達した(すくなくとも、なにが最終状態かは確定した)」という意味。そうした見方は平成の初頭、「冷戦の終焉(自由民主主義の勝利)が、その状態をもたらした」というかたちで流行しました。私が研究者として、何冊かの本で書いてきたのも、こちらの意味でした。
しかし、時代はそちらを通り越して、むしろニーチェ的な意味での歴史の終わり――「歴史的にものごとを語って、一本のすじを通そうとする試み自体に無理があるのであり、もはや有効ではない」という局面に達してしまった。そうして歴史(的なものの見方)が死滅したあとになにが残るのかは、「永劫回帰」といったぼんやりしたことばでしか説明されていませんが、案外それがいま、私たちの目の前にある光景かもしれません。
厳密には、ニーチェと歴史との関係は複雑で、自分を圧殺しようとするキリスト教のような「悪しきもの」の系譜をなぞるというかたちでなら、従来とは裏返した歴史を語れると考えていた節もあり、また既存の歴史像の虚飾をとりはらえば、歴史の真実がみいだせると言いたげなところもあります。ああ、その「日本版」なのだな、と納得できそうな、学者や論客の顔が目に浮かぶ方もいるかもしれません。
そういったかたちで、これからも散発的にわが国の過去をめぐって火花が散ることは、時としてあるでしょう。しかしながら長期的にみて、この国ではもはや歴史というものがゆるやかに壊死していくことは、避けられないように思います。
それが、私がこのサービスを閉じる理由です。いままで読んでくださった方々、また支えてくださったスタッフの方々に、厚く御礼申し上げます。
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