2018.08.16 別冊文藝春秋

『セルロイド』葉真中顕――立ち読み

文: 葉真中 顕

電子版20号

「別冊文藝春秋 電子版19号」(文藝春秋 編)

前回までのあらすじ

 アニメ制作会社『スタジオ・アッシュ』に就職した犬塚ヒカルは、憧れのアニメ監督伊藤七瀬にワンコという渾名をつけられる。超多忙のため恋人のユウキとなかなか会えないことだけが不満だったが、充実した日々を送っていた。ある日、かつての制作進行で、途中で仕事を放り出した「ミヤケコウタロウ」の存在を知るが、先輩の島田はミヤケについて話したがらない。そんな折、同期の小金沢が職場放棄。ワンコは後処理に忙殺され、ますますユウキとの溝は深まっていく。


9

「あ、ワンコじゃん」

 朝イチで完パケの素材を放送局に届けてスタジオから会社に戻ると、廊下でばったり、七瀬監督と顔を合わせた。

 二〇一七年三月。

 監督本人が予告していたように、今年に入ってから『スタジオ・アッシュ』では、七瀬監督の新作の準備が本格的に始まった。すでに製作委員会も発足したという。放送開始予定は、来年の四月。一年強という準備期間は、近年のアニメ制作では長い方だけれど、決して余裕があるわけじゃない。

「あんたさ、どうやら無事、一年、保ちそうだね」

 七瀬監督はにんまり笑うと手を伸ばして、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「あ、わ、ああ」

 とっさのことで驚いたけど、すぐに去年の新人歓迎会での約束を思い出した。

 そうか、もうすぐあれから一年か。

 あっという間だった気もするし、一年前がずいぶん昔にも感じられる。それだけ濃密だったということだろう。

「て、あんた、まさか今月で辞めたりしないよね」

 七瀬監督が冗談めかして訊いてくる。

「辞めませんよぉ」

 私は苦笑した。

「そう。よかった。あんた、今『終パラ』やってんだよね」

「はい。あ、一応、今日、担当回の完パケ入れましたけど」

 この年明けから放送がスタートした『終末のパラノイア』も、あと二回で終了だ。私の担当していた話数はラス前の第十一話。放送は明後日で、納品は今朝。ギリギリだったけれど、何とか間に合った。

「無事、終わったんだね。おめでとう」

「ありがとうございます。無事かどうかわかりませんけど」

 私が答えると、七瀬監督は肩をすくめた。

「大変だったみたいね。途中でバックレるやつも出たし……。ぶっちゃけ、出来もアレだしね」

「ええ、まあ」

別冊文藝春秋からうまれた本



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発売日:2018年06月20日