別冊文藝春秋

『セルロイド』葉真中顕――立ち読み

文: 葉真中 顕

電子版19号

「別冊文藝春秋 電子版19号」(文藝春秋 編)

前回までのあらすじ

アニメ制作会社『スタジオ・アッシュ』に就職した犬塚ヒカルは、憧れのアニメ監督伊藤七瀬にワンコという渾名をつけられる。昼夜問わず仕事に追われる職場で、恋人のユウキとなかなか会えないことだけが不満だったが充実した日々を送っていた。ある日、社内で拾った消しゴムに「ミヤケコウタロウ」という名前を見つける。先輩の島田に聞いてみると、三宅はかつて『スタジオ・アッシュ』で働いていた制作進行で、仕事を途中で放り出したらしい。島田はなぜか三宅のことを話したがらず……。


5

 あ、負けちゃったんだ――。

 二〇一六年八月。蒸し暑い朝。起き抜けにテレビを点けると、ワイドショーで地球の裏側でやっているオリンピックの結果を伝えていた。

 昨日、というか今朝、女子レスリングの決勝が行われていたらしい。日本勢は、なんと四つの階級で金メダルを獲得したという。けれど、四連覇を目指していた“霊長類最強女子”の異名を取る選手は、負けてしまい、銀メダルに終わってしまった。

 レスリングどころかスポーツ全般に興味のない私でも、その選手が凄く強くて何連勝もしているのは知っていた。

 番組では、試合後にその選手が「たくさんの方に応援していただいたのに銀メダルに終わって申し訳ない」「金メダルを取らないといけないところだったのに、ごめんなさい」と謝る様子のVTRを流していた。

 スタジオでコメンテーターが「謝ることないよ。十分立派だよ」と言っていた。

 銀メダルだって世界で二番だ。私は自分が世界で二番目になれることなんて何もない。それに、番組が伝えるところによればこの選手、これまでにオリンピック三連覇、世界選手権も合わせれば十六連覇もしているらしい。十年以上も世界の頂点に立ち続けていたのだ。いや、スゴ過ぎるでしょ。この人が謝んなきゃいけないことなんて、たぶん何もない。

 でも、こんなとき本人はきっと、どんな慰めを言われても凄く悔しいんだとも思う。

 私は何となく、七瀬監督のことを思い出していた。

 ――この世界は結果がすべてだからね。

 ――一切の妥協をせずに、最高のものを創りあげたい。

 四月の新人歓迎会のとき、そう言った監督からは、一本の作品に懸ける強い覚悟を感じた。

 結果を求められるという点では、アスリートとクリエイターは似ている……ような気がする。

別冊文藝春秋からうまれた本



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