「なるはやで脚本、目、通しといてよ。会社のサーバーに上がってるから」
「はい、もちろん」
「じゃ、よろしく」と、七瀬監督は一度その場を立ち去ろうとしたけれど、思い出したように足を止めた。
「ああ、そう言えばさ、ワンコ、例の外の彼氏とはどうなったの? 別れた?」
七瀬監督の顔には、少し意地悪な表情が浮かんでいた。
「別れてませんよ」
私は言い返す。
「へえ、すごいじゃん、まだ別れてないんだ」
七瀬監督は本気で驚いてる様子だった。
「いや、まだも何も、ずっと別れる予定ないですから」
私は強がった。
これまで、別れ話なんて出たことはない。休みらしい休みが全然なくて、デートはほとんどできないけど、夜、できるだけ時間を合わせて一緒にご飯を食べに行ったりしている。
でも、すれ違いがないわけじゃない。ときどき言い争いもするし、気まずくなることもある。そしてその頻度は、確実に増えている気がする。先週、会ったときなどは、私が、ほとんど残業がないというユウキの仕事を「楽でいいよね」と言ったのが原因で、険悪な雰囲気になってしまった。一応、お互い謝って仲直りしたことにはなっているけれど、わだかまりがゼロになったわけじゃない。
今日は早めに上がれるので、夜、ユウキと食事に行くことになっていた。またあんなふうになってしまったらどうしようと、少し気が重くもある。会いたくないわけでは、決してないのだけれど。
「――じゃ、島田くんはお呼びじゃないかな」
七瀬監督の言葉が耳に入ってきて、我に返った。
「ど、どういうことですか、それ」
「いや、別に。島田くん、ワンコのこと気に入ってるっぽいからさ。でも彼氏と上手くいってるんじゃね」
「え、そんな、島田さんが私を?」
私はカアっと顔が熱くなっているのを感じた。
「うん。よくあんたの話するし、好意持ってると思うよ。別に本人に聞いたわけじゃないけどさ」
聞いたわけじゃないんかい! と、思わず突っ込みを入れてしまいそうになる。
「ち、ち、ちょっと、変なこと言わないでください、島田さんにも迷惑ですよ」
「あれ、その反応、あんたもまんざらでもないの」
「いや、ないです、ないです」
「ふうん、ま、恋愛は個人の自由だけどさ、仕事に悪い影響が出るようなのはやめてよね。デスクと制作がプライベートで修羅場るとか、妊娠して離脱とか、あり得ないから。ま、島田くんならその辺はきっちり線引くと思うけど」
「な、何言ってんですか」
「いや、まじだよ。あるあるだからさ。とにかく、よろしくね」
七瀬監督は、ポンと私の肩を叩いて、その場を立ち去った。
島田さんが私を? いやいやいや、それはないでしょ。七瀬監督が勝手にそう言ってるだけだよね。
どういうわけか、頬がゆるんでしまう。
私、何でにやけてんの?
ないから。万が一、島田さんにその気があっても、私にはユウキがいるんだし。
とにかく、目の前の仕事に集中しよう。
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