別冊文藝春秋

『セルロイド』葉真中顕――立ち読み

文: 葉真中 顕

電子版20号

「なるはやで脚本、目、通しといてよ。会社のサーバーに上がってるから」

「はい、もちろん」

「じゃ、よろしく」と、七瀬監督は一度その場を立ち去ろうとしたけれど、思い出したように足を止めた。

「ああ、そう言えばさ、ワンコ、例の外の彼氏とはどうなったの? 別れた?」

 七瀬監督の顔には、少し意地悪な表情が浮かんでいた。

「別れてませんよ」

 私は言い返す。

「へえ、すごいじゃん、まだ別れてないんだ」

 七瀬監督は本気で驚いてる様子だった。

「いや、まだも何も、ずっと別れる予定ないですから」

 私は強がった。

 これまで、別れ話なんて出たことはない。休みらしい休みが全然なくて、デートはほとんどできないけど、夜、できるだけ時間を合わせて一緒にご飯を食べに行ったりしている。

 でも、すれ違いがないわけじゃない。ときどき言い争いもするし、気まずくなることもある。そしてその頻度は、確実に増えている気がする。先週、会ったときなどは、私が、ほとんど残業がないというユウキの仕事を「楽でいいよね」と言ったのが原因で、険悪な雰囲気になってしまった。一応、お互い謝って仲直りしたことにはなっているけれど、わだかまりがゼロになったわけじゃない。

 今日は早めに上がれるので、夜、ユウキと食事に行くことになっていた。またあんなふうになってしまったらどうしようと、少し気が重くもある。会いたくないわけでは、決してないのだけれど。

「――じゃ、島田くんはお呼びじゃないかな」

 七瀬監督の言葉が耳に入ってきて、我に返った。

「ど、どういうことですか、それ」

「いや、別に。島田くん、ワンコのこと気に入ってるっぽいからさ。でも彼氏と上手くいってるんじゃね」

「え、そんな、島田さんが私を?」

 私はカアっと顔が熱くなっているのを感じた。

「うん。よくあんたの話するし、好意持ってると思うよ。別に本人に聞いたわけじゃないけどさ」

 聞いたわけじゃないんかい! と、思わず突っ込みを入れてしまいそうになる。

「ち、ち、ちょっと、変なこと言わないでください、島田さんにも迷惑ですよ」

「あれ、その反応、あんたもまんざらでもないの」

「いや、ないです、ないです」

「ふうん、ま、恋愛は個人の自由だけどさ、仕事に悪い影響が出るようなのはやめてよね。デスクと制作がプライベートで修羅場るとか、妊娠して離脱とか、あり得ないから。ま、島田くんならその辺はきっちり線引くと思うけど」

「な、何言ってんですか」

「いや、まじだよ。あるあるだからさ。とにかく、よろしくね」

 七瀬監督は、ポンと私の肩を叩いて、その場を立ち去った。

 島田さんが私を? いやいやいや、それはないでしょ。七瀬監督が勝手にそう言ってるだけだよね。

 どういうわけか、頬がゆるんでしまう。

 私、何でにやけてんの?

 ないから。万が一、島田さんにその気があっても、私にはユウキがいるんだし。

 とにかく、目の前の仕事に集中しよう。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版20号文藝春秋・編

発売日:2018年06月20日


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