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【冒頭立ち読み】第159回芥川賞受賞『送り火』

ジャンル : #小説

送り火

高橋弘希

送り火

高橋弘希

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『送り火』(高橋弘希 著)

 作業着の男に急かされ、歩は橋架を渡った。作業着の男を先頭に、三人の学友が続き、歩は最後尾を歩いた。左手には山裾の森が続き、右手には乾いた畑が広がる。畑の畝には、掘り上げた馬鈴薯が一列に並んで野晒しになっていた。その馬鈴薯の表面の土も、もう白く乾いて砂になっている。瞼へ落ちかかる汗を手の甲で拭うが、次の汗が目に入り滲みる。瞼を擦りどうにか目を開けると、路傍の祠の銅板葺きの屋根が太陽を弾いて瞳を射た。

 その簡素な祠には、赤い前掛けをした地蔵菩薩が祀られていた。夏蜜柑が二つ供えてある。五穀豊穣を願ったものだろうか――、しかしその辺りは集落を区切る四つ辻にも位置していたので、道祖神かもしれない。男はその辻を折れ、山裾の黒い森へと進んだ。その頃にはもう、背後に聞こえていたせせらぎも途絶えていた。


1


 歩がこの土地を訪れたのは、未だ早朝には霜が降りる春先のことだった。商社勤めの父は転勤が多く、一家は列島を北上するように引越しを繰り返していた。そして東京での生活が一年半ほど続いたところで、再び転勤の内示が出た。今度は遥か北地の平川に勤めるという。歩はその地名を聞いて首を傾げた。地理は得意だが、聞いたことがない。津軽地方の幾つかの町や村が合併して、新しくできた市なのだという。父の役職から考えると、次期は東京本社で管理職として勤める可能性が高い。管理職への昇進前に、僻地へ飛ばされるのは社の慣例だという。単身赴任をする案もあったが、結局一家はこの土地へと越してきた。父の親戚が、平川からそう遠くない土地に空き家を所有していたのだ。父母は一軒家に憧れがあった。歩は二階の自分の部屋と、芝生の庭に憧れがあった。その親戚は、電話口で父に言ったという。

単行本
送り火
高橋弘希

定価:1,540円(税込)発売日:2018年07月17日

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