そろそろ、本作の明らかな特徴になぜ触れないのかと怒られそうだ。明快です、確かに。タイトルがすでに主張している。そう、本作で北村さんは、はじめて、父と娘という関係を作品の軸に据えた。「定年間近の高校国語教師」なる設定はまさしくご自身そのものだしお嬢さんがいらっしゃることは周知の事実であり、これは、と色めき立つ向きもあろう。しかし言わずもがな、作家にとってはあらゆる造形設定が自己を語るための素材であり調味料であり、冒頭の繰り返しとなるが、モデルやあて書き自体にさしたる意味はない。確かなことは、これまでも親子という関係性を、北村さんは常に、漫然とでなく主体的に、確信をもって肯ってきたということだ。「私」の形成に父母と姉の存在が不可欠であることはシリーズを通して明らかだし、『秋の花』においては登場人物の母親の強さが目を惹く。『リセット』の冒頭の一文は今思い出してもあまりの巧さに涙が出る。実の父上に関しては名著『いとま申して』三部作の形で徹底的に取り組まれてもいる。父であり子であるご自身から、すでに十分な主題を紡ぎ出してきた北村さんが、本作で満を持して田川父娘を配したのは、だから、より形而上的な必然ゆえと理解したい。ヒントはある。「冬の走者」に「あまりの暑さに耐え兼ね、――わっ! と、いって走りだ」した作家が登場するが、同様の見解は「私」の母上が『夜の蝉』にて表明されたところだ。また、美希が父親を評した「謎をレンジに入れてボタンを押したら、たちまち答えが出た」のバリエーションは、すでに『六の宮の姫君』での円紫師匠に関して「私」が用いている(「《はてな》と思うことを投入口から入れればポンと答えの出て来る、万能解答機のような人」)。うっかりではなく焼き直しでもない、熟慮の上の巧みな変奏だ。楽譜商人ディアベリの凡庸な一主題を頼まれもしないのに三十三ものオリジナル変奏曲に仕立ててのけたベートーベンは相当に意地悪な天才だったと思うが、自身の創作した数多の名探偵の何度目かの変奏を、本作で軽やかに奏でてみせた北村さんは完全にフェアである。
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