北村薫さんが描く新たな名探偵は、『中野のお父さん』のタイトル通り、出版社で働く娘が持ち込む《日常の謎》を、中野の実家で話を聞くだけで見事解決してしまう父親。いわば安楽椅子探偵の役どころだ。
「これまで書いた円紫さん(『空飛ぶ馬』など〈私〉シリーズ)もベッキーさん(『鷺と雪』など三部作)も、アドバイスを与えて導きながら探偵役は若い者に任せるという一歩引いた存在でしたが、このお父さんはずばり解決を口にする、よりクラシックな形の名探偵といえるかもしれません」
新人賞の最終選考に残りながら応募した覚えがないという候補者や、文豪の直筆手紙に書かれた思いがけない内容など出版社ならではの謎もあれば、はたまた〈殺人〉や〈強盗〉などと物騒な言葉まで飛び出す。8編それぞれバラエティに富んだ謎解きが鮮やかだ。
「新人賞の選考委員も務めているので、勇んで受賞者に連絡したところで『え、応募してませんよ』なんて言われたら面白いな、と以前から想像していたんです。小説誌の依頼を受けた折に、それを物語にしようと考えたら自然と出版社が舞台になり、1話目を書き上げました。それで次は古書店と作家の手紙、有名な俳句の解釈……と自分が面白いと思う題材を物語にしていたら、いつの間にか1冊になりました。考えてみれば周囲には編集者がたくさんいて取材しやすい舞台ですし」
散らかり放題の机、海外出張のトラブル、同僚とのランチや人事異動。謎の合間にちりばめられ、時に解決への伏線となるディテールはそうした取材の賜物だ。
「ハリウッド女優の撮影の話などは経験した人でなければ窺い知れないことで面白かったですね。ファッション誌に配属された新人がみるみるお洒落になるとか。小説の設定や解決はもちろん自分の中からしか出て来ませんが、リアリティを補強する枝葉や小ネタを聞き込みで集めました」
溌剌と働く娘と、それを見守る父。小誌連載でもおなじみの益田ミリさんが手がけた表紙にある探偵コンビの姿は、現代の理想的な父娘像に思える。
「元気で自立していても、時々帰ってきてくれればこれに過ぎたる喜びはなし。そんな娘に対する気持ちには私自身の父としての感覚が反映されていますが、世間一般にも同じでは?」
ミステリー、お仕事小説、家庭小説と、1粒で3度おいしい贅沢なシリーズの誕生だ。