シュールでニヒルで可愛い笑い!
歌人・穂村弘さんの文章と、イラストレーター・フジモトマサルさんの絵によって魅力的な世界を作り出した大人気シリーズの、誕生秘話、エピソード盛りだくさん豪華トーク
穂村 僕が文章描いて、付かず離れずの距離感でフジモトさんが絵を描き、それを名久井さんがデザインして完成する『にょっ記』シリーズ。2003年11月に雑誌で連載を始めたときは自分はまだ会社員でした。以来、1冊ごとにより時間をかけて面白さのレベルを保つように考えました。今回、三冊目の『にょにょにょっ記』が文庫になってシリーズが完結したということで名久井さんと振り返りたいと思います。
名久井 『にょっ記』の次は『にょにょっ記』、ラストは『にょにょにょっ記』。このタイトルは、穂村さんが?
穂村 僕が候補を幾つか考えて、フジモトさんに選んでもらったんです。それが『にょっ記』で、二冊目を出すときに「にょっき2」とか「続・にょっ記」とかはやめよう、と。
名久井 2とか続とかつけると「まず一冊目を読まないといけない」印象を読者に持たせてしまうから良くない、と業界的には言われますよね。
穂村 うん。で、じゃあ、頭に「にょ」をたくさんつけていこう! ということになりました。その時の計画では、本の表紙いっぱい「にょ」で埋めるまで続けるはずだったけど……2015年にフジモトさんがご病気で亡くなってしまったので、もう「にょ」が増えることはありません。
名久井 「にょ」がこれ以上入らなくなったらどうしよう、なんて言ってましたよね。今日は二人でフジモトさんの思い出も語り合いたいと思います。
「お笑い」人気がショックで……
穂村 僕はもともと短歌とか詩とかを書いてるんだけど、そういういわゆる韻文って人気がないし、読者に敬遠というか怖がられてると思うんだよね。一方で、テレビではお笑いの人たちが人気でしょ? 又吉さんとか、僕の印象では彼らの言語感覚は詩や歌を作る時のそれとあんまり変わらない。しかも、その言葉は紙に書かれてるわけでもなく、すごい速さで口から飛び出してくるのにちゃんとキャッチされてウケてる。「本質は変わらないのに、向こうはめちゃくちゃ伝わって喜ばれている!」というのが僕はショックだったの。それで……「にょっ記」だった。
名久井 ああ、怖がられないように?
穂村 そう。ぜんぜん怖くない笑える詩集みたいなのを作れないかという発想だった。詩とか短歌が怖がられる理由は色々あるんだけど、言葉が宝石みたいに、カチカチに結晶化しているということもあると思う。お笑いの人たちはいきなり抽象度の高いことは言わない、日常の言葉でしょ。だから『にょっ記』も、半生(ハンナマ)の、かたまる前の言葉のイメージで、そして日常と笑いの要素があるといいんじゃないかな、と。名前からして「にょっ」だし、変な動物もいますよと。
名久井 3冊の表紙にもなっている、あれですね。
穂村 フジモトさんに「イタチ?」って訊いたら「ヤブイヌだよ」って言われたけど、どこにもそれ書いてない。読者も「カワウソ」って思ってたりします。とにかくフジモトさんの笑いも、シュールでダークでアイロニカルで。
名久井 ニヒルで、それでいて可愛いですね。
穂村 どれくらい結果的にうまくいったかわからないけど、僕が書くものの中で『にょっ記』だけが好き、という読者も結構います。もちろん「くだらない」という人もいる。でも、怖がられるよりはいい。褒め言葉としての「くだらない」「しょうもない」と言われるゾーンを目指したんです。
名久井 「にょっ記」は、日記形式。穂村さんが日々出会う出来事、世の中の事象に対して思うことが綴られてます。
穂村 日記と言っても異化された嘘日記なんだけど、でも、実際に僕が見たものを書いてることが多い。
名久井 よく登場する「天使」はほんとうですか?
穂村 天使的な性格の人がいて、その人が言ったことをそのまま書いてる。例えば、一緒に散歩してて、90円とかの安い自販機を見つけた時の会話もそのままです。僕が「どうしてときどき安い自販機があるんだろう」と言ったら、天使は「やさしい人の家の前だから?」って。たぶんちがうだろう、って思うけどなんか嬉しい。僕なんか、まずは警戒するところを……。
名久井 私も! 安い自販機のジュースは、なんだか薄い気がしません?
穂村 名久井さんは、「濃度」なんだね。僕は、それを買うとなんだか悪いことが起こるんじゃないかとか、ただで良い話があるはずがないとか考えてしまう。資本主義に毒されてるからかなあ。
名久井 そうだねえ、もう私たちは汚れてしまったのね。
「迷い猫」貼り紙の素晴らしさ
穂村 「にょっ記」は、そうやって現実から掘り起こそうとしてるので、町内の掲示板とか張り紙を熟読するようにしてます。一番いいのは「迷い猫」探してくださいとか。
名久井 わかる!
穂村 「あの時私がああしていれば逃げなかったのに」という切ない気持ちと、でも探してもらうためになるべくきちんと客観的に書こうっていう気持ちがあるのがわかる。それで文面は「人懐っこい子です、でも初めてのひとは怖いから、しゃがんでから名前を呼んであげてください」っていう……この「しゃがんでから」っていう部分がいいでしょ。
名久井 (深くうなづく)
穂村 「でも、本当はいい子なんです」っていう親ばか情報もちゃんと入ってるの。
名久井 いいですね。私も、自分の住んでるマンションでいいのを見つけました。コンビニおむすびの包み紙の写真を大きくプリントした、「おむすびをここで食べた人がいます!」という貼り紙が。ロビーで食べた人がいる! って管理人さんがすごい怒っているのが伝わって、とても良かったです。
穂村 包み紙の写真を大きくプリント、がいいですね。昭和の頃はそういう気持ちの見える情報がもっとあったと思うけど。現代の大きなメディアから発信される情報は何人ものチェックを通ってるから「にょっ記」的な価値は薄い。混乱や間違いや偏りがない分、つるんとしたものになっちゃう。個人の貼り紙やなんかの混乱や間違いや偏りの中には、そのひと固有の命みたいなものがあるから、それがいいんです。そういう個性のあるメールくれる人も、いい人。
名久井 ごめんね、そういうメール出せてなくて。
穂村 名久井さんは仕事のできる人なので、メールも精度が高いよね。名久井さんとフジモトさんの間でも高速でハイレベルな内容のメールが飛び交うから、僕は全然ついていけなかった。二人でどんどん自主的にハードルを上げて、細部の情報量がすごい本になっていきました。
「俺は毎日うまくなっている」
穂村 単行本と文庫でも、細部が変わったりしてるんでしょ? 例えば文庫はサイズが縮小されるから、ヤブイヌの毛の量を減らしたり……。
名久井 そうですね。かなりこだわって、フジモトさんに書き分けしてもらったりしていました。絵を逆向きにしたり色を変えたりも。「にょ」で登場したリンゴが「にょにょ」は割れてて、次は剥かれて……とか、文字も実は数字で作られてるんですよ。
穂村 4冊目があったら、すりリンゴだったのかな。それにしても凄いね。エネルギーのかけ方が。
名久井 二人で色々話しながら考えてたんですけど、やっちゃいましたね。
穂村 フジモトさんて、亡くなる直前まで、どんどん絵が良くなっていったよね。
名久井 私が、フジモトさんの本の絵を見て「こことここは最近描いたでしょう。絵がうまくなってるからすぐわかる」と言ったら、「当たり前だろ、俺は毎日うまくなっているんだ!」って。
穂村 すごいですね。具体的にはどこか進化してたの?
名久井 光の描き方。一回目の入院の時に、窓から入る光の角度とかをずっと見てたらしくて、それで飛躍的にうまくなってたのがわかりました。
穂村 僕は? うまくなった?
名久井 え? ……うまくなったよ。
穂村 どこが?
名久井 えーと、、
穂村 フジモトさんのことはそんなに良く見てるのに、僕のことは見てないんだな。
名久井 み、見てるよ。……かっこよくなったかな?
穂村 フジモトさんの進化は「光の描き方」ってかっこいい言葉が一発で出るから、僕の進化についてもすごい言葉で言ってくれるのかと思ったら。名久井さんのフジモトさんを見る目は、僕を見る時よりずっと画素数が高いんだよね……
名久井 こわいよ! そういうこと言うから短歌の人は怖いとか言われる。
穂村 うふふ。僕、「どうしたらおしゃれになれますか?」って訊いたことがあるんです。フジモトさんは、現実をきちんと見据えることができる方だったし、なにより美意識が高くてお洒落だったから。そしたら、「穂村さんは三足1000円の靴下を履いてませんか」って。「はい」と答えたら「それをやめた方がいいです」と。
名久井 いくらのを買えば?
穂村 すごく高いこと言われたらどうしようと思うじゃない? その流れだと。でも、「まず1足800円くらいのを買えばいい。3足1000円でさえなければ」って。そのリアリティがなんか面白いなあって思った。
名久井 昔フジモトさんと雑誌で対談したときに「アイデアに詰まったらどうするんですか?」って聞いたら、日ごろなんでもない時に思いついたワードを、ちっちゃく紙にかいてビンにつめておいて、それをえいっと引くんですって。
穂村 おみくじ的に。かわいいですね。フジモトさんは、死を前にしても最後まで精神がまったく変わらなかったですね。