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〈穂村弘インタビュー〉本と本がつながっていく「読書日記」という形の魔法

〈穂村弘インタビュー〉本と本がつながっていく「読書日記」という形の魔法

聞き手:Voicy 文藝春秋channel

『図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記』刊行記念インタビュー


ジャンル : #随筆・コミックエッセイ

『図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記』の刊行を記念して、穂村弘さんにインタビュー!
 書評とは違う「読書日記」というスタイルの魅力、そして本書の装幀について語っていただきました。

 インタビュー音声はコチラ→https://voicy.jp/channel/1101/122986


『図書館の外は嵐』(穂村 弘)

「読書日記」だから書けること

――本書は「週刊文春」の連載「私の読書日記」の3年間分の書籍化です。

 

 読書日記って、書いてる時の気分が書評とは微妙に違うんですよね。
 例えば、どこの古本屋さんでいくらで買った、みたいな事をつい書きがちなんです。これはたぶん自分が興味があるからだと思います。書評では普通、本を買った場所は書かないでしょう。でも僕が「読書日記」の読者なら、それは知りたい情報だと思うんです。他にも、どこでそれを読んだのかも知りたくなりますよね。旅先で買って読むようなこともあるでしょ。ラーメン食べながら読んだ、とか(笑)。
 そういう気分の中で書き出すと、一冊何かの本を取り上げた時、必ず別の本を思い出すんです。
 例えば松浦理英子さんの『最愛の子ども』という素晴らしい作品があります。これを読んで「すごく良かった」とまずは書くんですけど、この本の特徴を挙げていくと別の本が思い浮かんでくるんです。
 この物語の主語は「わたしたち」。女子高生の話なんだけど、主語が「わたしたち」の小説は珍しいと思うんです。大抵、三人称か、一人称……二人称小説も珍しいけどありますね。そうしたら、昔「ぼくら」が主語の小説を読んだことを思い出した。『最愛の子ども』は新刊で読んだんだけど、「ぼくら」の方は昔読んだ本を自分の書棚からひっぱり出してきました。日本語の題がすごいんだけど、『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』という翻訳小説です。片方は日本の女子高生の話、片方は外国の、しかも昔少年だったけれど今はおじさんの回想なんだけど、そんな風に本がつながっていくなというのが何か面白くて。

――面白いつながり方ですね!

 他には、萩尾望都さんの『ポーの一族』の続編が40年振りに始まった時、結構衝撃だったんですよね。「えっ! 生きてるとそんなことが起きるんだ」って思いました。もちろん萩尾先生ありがとう、という気持ちなんだけど。
 40年振りに名作の続編が書かれるなんて奇跡だと思いつつ、他にも「奇跡」を体験した事を思い出した。それは『プレイボール』っていう、ちばあきおさんの名作漫画です。これも40年くらい前の漫画だと思うんだけど、続編が書かれることはある意味もっと奇跡なんですよ。なぜかというと、作者が亡くなっているんです。
 萩尾先生はまだ現役でご活躍されているから、「まさか『ポーの一族』の続編が出るなんて……!」という気持ちはあるけれど、不可能ではない。ご本人さえその気になってくれれば可能性はある。でも、ちばあきおさんはもう亡くなっているので、続編が書かれるはずはないんです。なのに別の作者の方がなるべくそっくりなタッチで、話の内容も似せて、続編を書いてくれた。そんなありそうもないことが意外と2つもあるんだ、みたいなつながりがありました。

穂村弘さん

――どちらもありそうにないことですね。

 あとは、小説に限らず映画などでもそうなんだけど、ちょっと前の映画が近未来を想像して描くと、何十年も生きてる内に追い越しちゃうんだよね。その「追い越されちゃった未来」を描いた小説つながりというのもありました。
 この本で僕が取り上げたのは、レイ・ブラッドベリの『十月の旅人』と、佐藤史生の『ワン・ゼロ』。作品の中には、書かれた未来を何十年も追い越しちゃったものもある。そうすると、僕たちは未来人ということになって、昔の人が想像で書いた未来がどの程度当たったのか答え合わせができる。当たり前なんだけど、大抵現実にはそこまで進化してないんだよね(笑)。
 ただ、一番想像されていないのは、やっぱりスマホとインターネットなんですよね。逆にいうと、この2つがリアル未来の特徴なんだな、と思います。意外と電話ボックスが作品の中にまだあったりするんですよね。自動車も空を飛んだりしていないし……自動運転の方が先なのかな。
 本って、読めば読むほど面白くなる面があるのは、こういうつながりが増えるからですよね。そういえばあの本も……っていうストックが、歳を取れば取るほど増える訳です。

――他に思い出深かった回はありますか?

 本を買うときには「現物の面白さ」みたいなものもありますよね。ここでの現物とは、初めてその作品が掲載された雑誌などの意味です。もちろん、単行本になった時に読むことの方が多いんだけど、すごく好きな作家さんの場合、わざわざ当時の雑誌でしか読めないものを探すことがありますよね。僕の場合だと大好きな大島弓子先生の単行本未収録作品みたいなね(笑)。ファンとしては、その作家の作品は全部読みたいのに、ご本人に何か理由があって、単行本には収録されないこともある。その場合、まず単行本に収録されていない作品があるということを知らないと探せないんだけど、偶然見つかることもあるんですよね。
 この本では、沖縄の古本屋さんで『プチコミック』という漫画雑誌の1978年9月号に、大島弓子の「タンポポ」という作品があるのを偶然見つけた時のことを書きました。未収録作品って、作品そのものを読む興奮、あと、作者はなぜこれを未収録にしたんだろうって考える楽しさがあります。
 その号は大島弓子特集で、いろんな人が大島弓子について書いてるのも面白いんです。例えば中島みゆきさんが大島弓子のファンだっていってコメントしていて。そもそもこの号を読むまでファンだって知らなかったし、若かりし日の中島みゆきさんが大島弓子先生をどう語っているかが、また面白いんです。「大島作品は読者にとっての鏡だ」というようなことを書いていて、さすが鋭いなと思いましたね。
 『プチコミック』には漫画の投稿欄があって、作品そのものは載ってないんだけど選評が載っています。この号には森脇真末味さんという、僕が大好きな漫画家の、アマチュア時代の選評が載っていたんです。この地点では「まだまだですね」みたいな事を書かれているんだけど、「いや、まだまだじゃないんだよ、実はこの3か月後、森脇真末味は衝撃のデビューを果たすんだよ!」みたいなことを我々は知っている。やっぱり未来人だから(笑)。
 これも「読書日記」が書評とは違う所ですよね、わざわざ1978年の雑誌を書評するような仕事は来ない訳だから(笑)。読書日記だから、たまたま沖縄の古本屋さんに行って、そこで見つけた本で面白い体験をした、みたいなことが書ける。だから読者との関係がすごく有機的になりますよね。

装幀について

――本書は装画をヒグチユウコさんに描いていただきました。

 僕、装幀がすごく好きなんです。きれいな本への憧れがすごく強い。自分ではデザインできないから、装画の人とデザインして下さる人の力が全てなんだけど。
 この本は『図書館の外は嵐』というタイトルを決めた時に、すごくいい装幀があり得るんじゃないか、と思ったんですね。去年の暮れくらいにお家でお友達と鍋を食べながら、そのことを話したんです。すごくきれいな本にしたいんだけど、自分では装幀がイメージできない、どんな装画・装幀があり得るかなって。友達もデザイナーや物書きが多いんです。
 たまたまその中にヒグチユウコさんがいた。下心があった訳じゃないんだけど、この話をしていたらヒグチさんがひらめいたというか、「私ならこんな感じでいける」という話になった。そこで思い切ってお願いしたら、装画を描いてもらえることになりました。すごくラッキーでしたね。

――本当に、素晴らしい絵を描いていただきましたね。

『図書館の外は嵐』って僕の中ではうっとりするようなイメージがあるんです。もうここから出られないんだ、みたいな……現実に出られなくなったら困るんだけど。図書館から出られないとか、灯台守になってそこで暮らすとか、植物園と薬草園で暮らすとか、本好きの人にはそういう憧れが微妙にあると思うんです。いろんな細々した雑務から逃げて、ずっと図書館の中にいたいというような憧れ。
 そんな風に「図書館」は心の比喩でもあるということを、ヒグチさんは直感的にビジュアル化してくれました。外にはいろんなものが吹き荒れていても、心には自分の宝物が隠されている。
 この絵はヒグチさんの心でもあるんですよね。だからこの図書館には、ブチハイエナやウサギやタコみたいな動物達が、一緒に本を読んでいる女の子を静かに見守っている。クラインの壺みたいに、これは図書館の描写であると同時に彼女の心の中の部屋でもあるような、外と中がつながってループするイメージがあるのかな、と感じました。


本書の刊行を記念して、2021年2月11日(木・祝)に穂村弘さんのオンライントークショーが開催されます!詳細はこちらから。

図書館の外は嵐
穂村弘の読書日記
穂村弘

定価:本体1,500円+税発売日:2021年01月27日

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