- 2018.11.20
- インタビュー・対談
著者インタビュー 宮部みゆき「杉村三郎シリーズの愉しみ方」
宮部みゆき
シリーズ累計300万部突破! 『希望荘』『昨日がなければ明日もない』刊行記念
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
前作の『希望荘』で私立探偵事務所を立ち上げた杉村三郎が、新刊の五作目『昨日がなければ明日もない』ではプロの探偵として本格的に動き出します。
このシリーズの始まりは、マイクル・Z・リューインの「アルバート・サムスン」シリーズが大好きなので、こういうのんびりした人のいい私立探偵が主人公の物語を書きたいということでした。アルバート・サムスンは、裏社会に通じているキリッとした探偵ではなく、お金に困っていて、扱う案件も大事件ではなく家族の失踪といった市井の探偵。装丁もそのシリーズを手がけておられる杉田比呂美さんに是非お願いしたかった。
もうひとつは、コーエン兄弟の『ファーゴ』(一九九六年公開)という映画がすごく好きで、フランシス・マクドーマンドが演じた田舎町の女性警察署長がとても印象に残っていました。臨月でおなかの大きい彼女が、よっこらしょと雪のなかをブーツで歩きつつ、陰惨な事件を解決する。ラストシーン近くで、生き残った犯人をパトカーで護送していく時、僅かな金のためにどうしてこんなことをしたのか訊ねるんです。でも犯人は何も答えられない。すると彼女は「理解出来ないわ」とつぶやく。そしてまた自身の穏やかな暮らしのなかに戻っていく。私生活は、いたって普通で幸せな人が、とんでもない犯罪に遭遇し、事件を解決する。私立探偵ものを書くなら、そういう普通の人で書きたいと考えていた。その二つがあわさってできたのが杉村シリーズです。
杉村は警察にコネもない。だから扱えるのは大事件ではなく、直面するのは社会的な「悪」とか構造的な「悪」よりも家庭内、友人関係、会社の中でねじれてしまった人間関係から生まれる「悪意」。そういった身近な「悪意」によってこじれてしまった関係を杉村に解決させるというのが自然な流れでした。
普通、私立探偵ものの男性主人公は、黙っていても女性のほうが寄ってくる。でも杉村はそういうタイプじゃない。子供からおばさんにまで好かれる。でも好かれているから、かえってズケズケと言われてしまう。彼には物事にずんずん分け入っていくのではなく、聞く人、受信する人であってほしい。でもそれゆえに、すごく無力なことも多い。きっと自信を持って「これが正義だ」とか言えないタイプの人なんです。
それにしても、杉村が探偵になるまでには最低、長篇二作は必要だと思っていましたが、まさか三巻目が文庫で上下巻になるとは(笑)。『希望荘』を書き始める時に、どうしても震災の当日のことを書いておきたくて、二〇一一年をスタートにして、実は探偵になったときの杉村の年齢設定を少し若返らせているんです。ギリギリ三十代で探偵にならせようと思って。中篇集にしたのは、杉村に探偵としてある程度の場数を踏ませたいと考えたからです。ゆくゆくは、娘の桃子が一度は杉村の家に来たり、彼女が竹中家の人とも仲良くなったりといった展開も考えてみたいですね。
『希望荘』や『昨日がなければ明日もない』から読み始めた方には、まず私立探偵ものとして愉しんでいただき、もし彼の過去が気になったら初期の三部作を読んで、「杉村はこういう経験をしているのか」とうなずいていただけたら嬉しいです。
宮部みゆき
1960年生まれ。東京・深川育ち。87年「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。以降、『龍は眠る』で日本推理作家協会賞(92年)、『本所深川ふしぎ草紙』で吉川英治文学新人賞(同年)、『火車』で山本周五郎賞(93年)、『蒲生邸事件』で日本SF大賞(97年)、『理由』で直木賞(99年)、『模倣犯』で毎日出版文化賞特別賞(2001年)、『名もなき毒』で吉川英治文学賞(07年)を受賞。
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