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映画の浜辺で(文學界2019年7月号より)

映画の浜辺で(文學界2019年7月号より)

文:ミヤギ フトシ

『アメリカ紀行』(千葉雅也 著)

出典 : #文學界
ジャンル : #随筆・エッセイ

『アメリカ紀行』 (千葉雅也 著)

 まず私は本書を旅行記として読んだ。しかし、しっくりこない。浮かれがなく淡々としている。二度目は翻訳小説として読んでみる。『勉強の哲学』で千葉は、「いま属している環境にはない可能性を、たんに言語の力で想像すること、それは文学にまで通じている、というか、それは文学することにほかならない」と、続く『メイキング・オブ・勉強の哲学』で文学は「ある言語体系1から言語体系2へ移行するときの、言語の移行可能性それ自体を鍛えるエクササイズ」と書いている。時々挿入され、豊かな風景を提示する俳句、そして多くを語らない描写(ベッドの中で半裸の男性家主とボーイフレンド、誰かのスピーチ中に突然立ち上がり油絵の傾きを直す先生)はとても文学的だ。そして、これは翻訳抜きの小説なのではないかと考え直す。ほぼ全篇日本語で英語の世界が書かれている。千葉は、日本語と英語の「移行可能性の場」に身を置いているように見える。例えばそれは、家主の「I need to succeed だった」という不思議な台詞にも現れているのではないか。Lyft 運転手は、英語で喋る千葉に「英語はよくわからないんだ、ごめん!」と返したりする。千葉は滞在中、度々Lyft で移動する。

 ペライア版『ゴルトベルク変奏曲』が耳に馴染んで、少し長すぎる演奏時間も含め心地よく感じ始めている。イヤフォンで音楽を聴きながら風景を眺める、その場にいるのに一枚フィルターをかけて世界を体験するあの感覚を思いだす。読みながら立ち現れる情景と聴いている音楽を合わせる。そこで三度目に、映画を観るように読んでみる。日本にいながらアメリカを観る。「肌色(マイアミ)」と題された章は極めて映像的かつ物語的だ。クリスマスのあと、千葉は映画『ムーンライト』の舞台となったマイアミの町を訪ねる。キューバ移民が多く住むという地区を車で走りながら、祖母のいる宇都宮郊外の老人ホームを連想する。それから自分がキューバを懐かしむマイアミの人と入れ替わったように感じ、「ただいまと言う」。午前三時に目覚ましをかけて起き、真っ暗なビーチに行き波の音を聞く。『ムーンライト』の中で線の細い少年だった主人公シャロンは、彼を助けてくれた薬物の売人を模すように体を鍛え、同じように売人として生きる。その主人公の生/性をたどり、入れ替わるという可能性について千葉は、「共感とは無関係な、無関係性における入れ替わり。分身。/僕は以前から分身のことばかりを考えている。/いたるところで無関係性の結晶が燦めいている状況を、人は仮に「共感」と呼んでいるのではないだろうか」と記す。変身ではなく、分身。『ムーンライト』の最後、回想シーンで子ども時代のシャロンが浜辺で遊んでいる。高校生のシャロンが、親友ケヴィンにキスをすることになる浜辺だ。

 私はアメリカで、誰かと通じ合うことをどこか放棄していた。気恥ずかしくて英語の名前も持てなかった。演技はきっと千葉よりも下手でたどたどしかっただろう。だが、意識的でこそなかったものの、分身する術すべは知っていたのかもしれない。そのような体験をたしかに何度もしてきたし、時にその感覚を作品化してきたのではないか……そして、無関係性と分身についてより意識的になりながらアメリカを再体験したいと思った。頭の中で聴こえていた『ゴルトベルク変奏曲』がモーツアルトの「ラウダーテ・ドミヌム」に変わる。『ムーンライト』で印象的だった曲。誰かが夜の浜辺で海に向き合っている、そんな映像を思い浮かべていたら、音楽がフェードアウトして終わった。

こちらの書評が掲載されている文學界 7月号

2019年7月号 / 6月7日発売 / 定価970円(本体898円)
詳しくはこちら>>

単行本
アメリカ紀行
千葉雅也

定価:1,650円(税込)発売日:2019年05月29日

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