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『夢で逢えたら その女、芸人につき』吉川トリコ――立ち読み

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

別冊文藝春秋 電子版27号

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版27号

文藝春秋・編

くわしく
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「別冊文藝春秋 電子版27号」(文藝春秋 編)

『笑っていいとも!』に出るのが夢だった。

 テレフォンショッキングじゃなくてレギュラーで。

 タモリさんや関根(せきね)さんや鶴瓶(つるべ)師匠やSMAPのだれかと並んでステージに立って。

 新宿アルタからお茶の間に笑いを届けたい。

 子どものころからずっと夢見ていたのに間に合わなかった。

 あとちょっと、あともうちょっとだったのに。

 二〇一四年三月三十一日、一人暮らしのアパートで膝を抱え、砂を噛むような思いで金木真亜子(かなきまあこ)はいいとも最終回を観た。

 芸歴十年にして世間に顔と名前が浸透しだし、街で声をかけられることも増えてきて、体感としては八合目あたりまできているかんじだった。突然のいいとも終了は、まさに青天の霹靂(へきれき)であった。テレビがあるかぎり、いいともだけは永遠に続くんだと思っていた。頂上まであと少しと思っていたところで、強制的に山を降ろされてしまったこの気持ちをどう表現したらいいのだろう。

 無念。

 かつては夢と希望でぱんぱんに膨らんでいた胸に、その二文字が浮かんだ。

 高校卒業と同時に地元・愛知から上京した真亜子は、ヒイラギプロダクションが運営するお笑い養成所に入所した。うまいこと両親を言いくるめて学費と生活費の一部をせしめ、バイトをしながら養成所に一年通ってみたが、なかなか芽は出なかった。男も女も先輩も後輩もなく手近な空いてる相手と手当たり次第にコンビを組んではどうにもしっくりこなくて短期間で解消をくりかえしていたその当時、真亜子は仲間内で「お笑いヤリマン」と揶揄されるようになっていたが、しっくりこない相手としっくりこないままだらだらコンビを組んでいるぐらいなら、不名誉な呼び名を甘んじて受け入れているほうがましだと思った。しかし、真亜子と同じように相方をとっかえひっかえしている男の芸人のことまで「お笑いヤリマン」と呼ぶのはどうも納得がいかなかった。そこは「お笑いヤリチン」と呼ぶべきだろう。

「それはやっぱニュアンスだろ、ニュアンス」

 先輩芸人がニヤニヤ笑いながら言うのを見て真亜子はなにかもやもやしたものを覚えたが、そのもやもやを、つまり「ヤリマン」という言葉を敢えて用いることによって侮蔑のニュアンスをより強めるということですか、「ヤリチン」より「ヤリマン」のほうが汚らわしく忌まわしい存在だと暗に言いたいんですか、そもそもなにかを侮辱する目的で性的な比喩を用いるのはどういう料簡なんですか、っていうかなんで「ちんこ」はよくて「まんこ」は放送禁止用語なんですか、といったかんじにはうまく言語化できず、その夜はもやもやを抱えたまま枕を噛んで寝た。

 養成所を卒業して二年が経ってもしっくりくる相方が見つからず、かといってピンでやっていくには実力もキャラも中途半端でくすぶっていた。そうしているあいだにも、養成所で同期だった芸人たちは着々とステップアップをしていくか、芸人の道を諦めて田舎に帰っていった。

 やはり自分には才能がないのかもしれない。憧れだけでかなうような甘い世界じゃない。そろそろ田舎に帰る頃合いだろうか。年を取ってからできた一人娘ということもあってさんざんっぱら真亜子を甘やかしてきた両親も、「まあ、たいがいにしとかなかんわ」と仕送りをしぶりだしている。芸人としての収入はわずかどころかマイナス、来月にはアパートの契約更新も控えている。引くか進むか、目の前には二つの道がのびていた。

 中学校の同級生・早野美姫(はやのみき)と池袋の路上でばったり再会したのは、そんな折のことだった。

 見つけた。

 当時すでに盛りを過ぎていたヤマンバギャルファッションに身を包んだ美姫を見た瞬間、真亜子は確信した。ギャルの聖地・渋谷ではなく池袋、というところも絶妙だったし、ヤマンバメイクをしているにもかかわらず、一目で愛知の片田舎で思春期をともにすごしたあの早野美姫だとわかってしまう見た目のインパクト、「将来の夢は女子アナかスチュワーデスかなっ♪」などと言っていた愛知の片田舎の中学生が、なにがどうしてそうなった?! 等々、一つ一つツッコんでいたらきりがないぐらい、あの日の美姫は光り輝いていた。こいつだ、こいつをぜったいに逃してはいけない。

「美姫! 早野美姫やんけ! あんたこんなとこでなにしとんの」

 真亜子は地元の公立校に、美姫は名古屋の私立女子校に、それぞれ高校が分かれてしまってからなんとなく疎遠になっていたので、東京に出てきているなんてそのときまで知らなかった。

「まーこ! あんたこそなにしとんの」

 グレーのコンタクトレンズを嵌(は)め、つけ睫毛に埋もれた目を見開き、「え、ウケるんだけど。まーこやん」と腹を抱えて美姫は爆笑した。めったなことでは地元から出ることのない愛知の女子にとって、池袋の路上で地元の同級生と再会するなんて、笑ってしまうぐらいありえないことだった。

「あんた、どーして、いつから東京おんの」

「それがさ、聞いたって。兄ちゃんが結婚して、うちを二世帯住宅に建て替えてまってさー、子どももじゃかじゃか生まれるし、もう居づらくて居づらくて。ここにおったらベビーシッターとしてこき使われるだけやんって思って、一年ぐらい前に逃げてきたった。いまはブクロのギャル屋で働いてる」

 ブクロと言うときだけ巻き舌になった美姫に、真亜子は危うく噴き出しそうになった。

「へー、寛治(かんじ)さん、結婚したんだ」

 五つ上でオジー・オズボーン好きだった美姫の兄を、ほのかに甘酸っぱい気持ちで真亜子は思い出した。初恋だった。あの寛治さんがもう結婚して子どもまで。それも二世帯住宅。田舎はいろいろと展開が早い。

「まーこは? なんで東京おんの?」

「それがさ――」

 よくぞ聞いてくれましたとばかり、高校卒業してからこの三年、東京でなにをしていたのか早口でまくしたてると、真亜子はがしっと美姫の肩をつかんだ。

「なあ美姫、あんたもいっしょに芸人目指さん? 中学んとき、いっつも二人でクラスを沸かしとったの覚えとらん? あんときみたいにいっしょにやろまいて」

 美姫としゃべっていると、尾張弁が自然と口から飛び出してきた。「やろまい」なんていったい何年ぶりに口にしただろう。

 しかし、

「えー、やだよ芸人なんて。モテなそうじゃん」

 と言って美姫はまったく聞く耳を持とうとしなかった。

「ヤマンバもおんなじようなもんやろ」

「これは自分から望んでやっとるからいいんだわ。芸人はそれとはちがうが」

「芸人だって望んでやっとるっちゅうの!」

「え、古っ、いまさらパイレーツ? 古っ」

「そういうつもりで言ったんじゃないし、そういう素人っぽいのいらんし」

 池袋の路上、尾張弁で言い争う二人の若い女を、通行人は声もなくそっと避けていった。

「あ、ほんでも」そのとき美姫が、なにかいいことを思いついたみたいに顔をあげた。「芸人は芸人でも、パイレーツ路線でいけばモテないこともないじゃんね?」

 あほか、あんなもん芸人とちゃうわ。おまえらその見た目でパイレーツに張れると思ってんの? うーわっ、図々しい。これだからなんもわかっとらん素人は。その瞬間、真亜子の頭の中の先輩芸人(概念)が呆れた顔で言い放った。

 これだからなんもわかっとらん素人は、と切って捨てることになんの意味があるだろう。だれだって最初はなんもわかっとらん素人なのに。

「パイレーツってあんたそんな、かんたんに言うけどね」

 あの人らは厳密には芸人ではなく容姿と巨乳を売りにした芸人風アイドルであり、我々があの路線をいくにはいろいろと――主にカップ数が足りない上にそもそもあの路線を踏襲するつもりはなく、それにあそこまで瞬間最大風速が出てしまうとやはり後々きびしいのではないか、細く長くやっていくのがいちばんではないか、といったようなことを、懇切丁寧に説明しようとしかけた真亜子の頭の中で、キムタク(概念)が「ちょ、待てよ」と囁いた。ちがうちがう、そうじゃ、そうじゃない。鈴木雅之(すずきまさゆき)(概念)の声もした。美姫を逃がせない。

「わかった、二人で目指したろ、第二のパイレーツ」

 そう言って真亜子は再び美姫の肩をがしっと抱き、池袋の路上に誓いを立てた。

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版27号
文藝春秋・編

発売日:2019年08月20日

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