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角栄が嘆いた、「哲人宰相」志半ばの急逝 いま明らかになる保守政治家の真髄

角栄が嘆いた、「哲人宰相」志半ばの急逝 いま明らかになる保守政治家の真髄

文:渡邊満子 (大平正芳外孫/メディアプロデューサー)

『増補版 大平正芳 理念と外交』(服部龍二 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『増補版 大平正芳 理念と外交』(服部龍二 著)

 私の母方の祖父・大平正芳は、日韓併合と大逆事件が起きた一九一〇(明治四三)年に生まれ、一九八〇(昭和五五)年、現職の総理大臣として殉じた。来る二〇二〇年に、生誕一一〇年、没後四〇年という節目を迎えるにあたり、大平の事績を丹念に辿り評価した、服部龍二氏の『大平正芳 理念と外交』が復刊されることは喜ばしく、また、解説のご依頼をいただいたことは大変光栄なことだった。

 服部氏は『田中角栄』『佐藤栄作』をはじめとして、その人物と誠実に向き合った評伝を数多く上梓されている。学問を重んじ、学者との対話を心からたのしんでいた生前の大平と服部先生が出会っていたら、どんなことを話し合っただろうか。そして、いまの日本にどんな思いを持つのだろうか。ここでは、孫が記憶する大平正芳の姿を回顧し、本書を通じて大平からいま何を学ぶべきか考えてみたい。

 

 本書では、大平の生涯にわたる事績が紹介されているが、外相としての活動に多くの紙数を割く。「日中両国が友好協力関係を持つことはアジア地域の安定にとって大きな要件となっている」と華国鋒総理に語った(本書二一三頁)ように、終生の盟友であった田中角栄と取り組んだ中国との関係改善は、現在につながる業績だと思う。

 二〇一八年一二月一八日、北京人民大会堂にて、中国改革友誼勲章の授与式が行われた。この勲章は、一九七八年に鄧小平のリーダーシップの下ではじまった中国の改革・開放に貢献した人物を表彰するもので、受章者は外国人が一〇名、そのうち二名が日本人で、松下幸之助氏と大平正芳だった。私は、松下さんのお孫さんで、現在は松下政経塾の代表者となられた松下正幸さんと共に式典に臨んだ。全国に生中継された式典の締めくくりとして、習近平国家主席は、この四〇年、中国が歩んできた改革・開放の道のりと将来のビジョンについて演説をした。「中国の未来を支えるのは“イノヴェーション”だ」――大国を率いるリーダーとしての気概に満ちたスピーチだった。中国のこれまでの経済的発展と社会の変化は大きかったが、これからを考えると指導者に課せられた責任は重く、その影響力は地球規模である。

 式典の後、最前列に中国首脳たちを配して受章者全員での記念撮影をした。私はこの日、祖母・志げ子の形見で、平和のシンボルである白い鳩が描かれた和服で参列していた。撮影のためのひな壇に登るとき、優しく微笑み手を差しのべてくれたのは、現代中国の経済界を率いるアリババグループ総帥・馬雲(ジャック・マー)さん、そのお隣にはテンセントグループの馬化騰(ポニー・マー)さん、と錚々たる顔ぶれ。隣接する国家博物館では、これまでの中国の発展を表す展覧会も盛大に開催されていた。

 授与式の翌日、私は初めて毛主席紀念堂を訪問。先方のご配慮で、廟内に安置されている毛沢東の御遺骸をたった一人で拝した。毛沢東の革命の志は叶えられたのだろうか、この大国はこれからどうなっていくのだろうか……。四六年前、田中角栄総理と外相の祖父が訪中して実現した国交正常化交渉に思いを馳せた。

 一九七二年九月二七日、北京訪問中の一行が難交渉を終えて中南海の毛沢東を訪問したのは真夜中だった。

「もうケンカは終わりましたか? 仲よくなるためにはケンカも必要です」

 そう語りかけた毛主席とは、終始和やかな雰囲気だったという。しかし、帰国時の機上で祖父はつぶやいた。いまはお祭り騒ぎだが、三〇年、四〇年後に中国が経済成長を遂げた後は、様々な問題が浮上するだろう、と。

 祖父は、日本と中国の関係を、大晦日と元旦のようだと言っていた。隣り合っているが、全く違う、だからこそ、仲よくするためにはお互いの忍耐と努力が必要だ、と。また、若い頃の中国滞在の経験により、中国は大陸国家で、日本は海洋国家だと考え、これはのちに「環太平洋連帯構想」へとつながっていく。

 私は、政治家に求められることは国の将来を見据えるビジョン、決断力と実行力、そして歴史への責任感とそれを支える思想だと思っているが、日中国交正常化は、田中の決断と、政治家になって以来ずっと抱いていた大平の熱情が一致したからこそ成し得たことだったと思う。のちに祖父はこの時のことを、次のように語った。

 

 政治家の生きがいは、自分が国家民族と一体になっている、なろうとしている、と感ずる時。日中国交回復は、当時はまあ党内大変だったが、これなんか振り返ってみて、政治家でよかったなと思います。

(朝日新聞一九七八年一一月一〇日付)
 

 田中角栄と大平正芳の出会いは、いまだ戦後の復興が緒に就いたばかりの一九四七(昭和二二)年。角さんが衆議院に初当選し、大平が大蔵省から経済安定本部の公共事業課長に出向していた頃のことだ。当時、祖父は日本政府と占領軍との折衝を仕事にしており、一年生議員と若き官僚として、二人は共にGHQの圧力を日々痛感しながら、戦災からの復興に向けて職務に励んでいた。祖父が政治家に転身した一九五二(昭和二七)年以降、二人三脚が始まったのだが、いかんせん選挙に弱かった祖父のため、角さんは毎度選挙応援に駆けつけてくれた。その頃の思い出を綴った角さんのエッセイの愛情に溢れた表現は、二人の絆の強さを感じさせる。

 彼の演説は、宗教大学の学者のような格調は高いが地味で真面目なものであり、街頭演説で大平ブームを捲き起こすようなものではなかった。ある日、夕方のことである。街頭演説用のトラックの上に立っている彼は、ほこりにまみれて真っ黒い顔であった。私はその傍に立ってマイクを握った。「諸君、香川を代表する人材は数多い。弘法大師を頂点に三木武吉しかり、吉田茂さんに曲学阿世の徒などと言われた東大総長・南原繁もまたその一人であろう。諸君、見給え、車上に立つわが大平正芳君を――まさに生きながらの銅像ではないか。やがて彼は国を代表する国家有為の人材となり、弘法大師にも比肩する四国讃岐の誇りとなるであろう」。その日の夜遅くに宿に帰ってきた彼は「まったく驚いたよ。脇の下から冷汗が出た」と、一言つぶやいたのである。 

   (『大平正芳回想録 追想編』より)
 

 角さんが祖父を訪ねて来られるのは、週末が多かったと思う。大平家のおもてなしのメニューは定番の「すきやき」だった。大平は無類のすきやき好きで、「何か美味いものが食いたいなあ……」とつぶやいた時に「何がいい?」と家の者が尋ねると、しばらくの間真剣な面持ちで考えるが、結局いつも「すきやき!」と言うのだ。この光景を何だか禅問答のようなやりとりだなあ……と、私は子供ながらに思っていたものだ。

 ところが、普段は以心伝心の二人でも、ことすきやきとなると好みは真逆だったと言ってよい。新潟出身の角さんはしょっぱいものが大好物で、醤油をドボドボ。一方、大平は大の甘党で砂糖をドッサリ。讃岐流の大平家のすきやきには大根が入るが、せっかちの角さんは、食べ頃の飴色になるのも到底待てない。お互い遠慮などないので、終いには、まるで佃煮のようになって、とてもじゃないが食べられたものではなかった。二人の行きつけの新橋の料亭では、角さん用と大平用に別々のすきやきを用意していたほどだ。おまけに、角さんがお酒好きなのに対して、大平は下戸。我が家には、お酒のすすめ方を心得た者がおらず、「まったく、この家の者は気がきかん!」と角さんはよく怒っていたものだが、振り返れば家族ぐるみの食卓がそこにあったことは間違いない。

 衆参同日選挙の喧騒の最中、病に倒れた祖父が会いたがったのも田中角栄だった。角さんは選挙中ながら上京し、翌朝に祖父を見舞うはずだったが、それを待たずに夜中に容態が急変した祖父はそのまま帰らぬ人となった。報せをきいて、虎の門病院に駆けつけた角さんは、主治医に対し、「何で、大平の命を救えなかったんだ……」と涙ながらにくってかかったそうだ。

 今際(いまわ)の際(きわ)、祖父は角さんと何を話したかったのだろうか。選挙情勢か、政局か……私はそうではないと思う。親友・田中角栄にただただ会いたかったのではないか。出会った当初から、自分にはない相手の個性に惹かれ、互いを「この男は天下をとる男だ」と認めていた二人。単にウマが合う次元を超えた、深い友情と強い絆で結ばれていたのだ。

 私が今もふと思い出すのは、休日の昼下がり、自宅の居間でゆったりと本を紐解く祖父の姿だ。服部氏が指摘される通り、こよなく読書を愛した祖父は、読み終わった本を次々と郷里香川へと送った。手許の「大平文庫蔵書目録」(大平正芳記念館発行)には、ジャンル別に六四〇〇冊あまりの書目が並ぶ。政治経済や法律も含まれるが、歴史、社会、随筆と多岐にわたる。人類の叡智を少しでも郷里の方々と分かち合いたい――そんな祖父の心の内に触れているようだ。

 本好きゆえに、姿が見えないと思ったら、必ずといっていいほど、本屋さんにいた。それは総理就任後も変わらず、行方知れずの総理を警護官が必死に捜索するという一騒動が起きたほどだ。生前最後の正月、自らの本棚を整理しながら、「死ぬまでにあと何冊、本が読めるかなあ……」とつぶやく岳父に、傍らにいた秘書にして私の父である森田一は返す言葉が見つからなかったという。

 読書は精神の浄化、発想の鮮度と時世への嗅覚の涵養(かんよう)に欠かすことができない、とは祖父の持論だったが、キリスト教信仰とともに、一生変わることのなかった考え方が「楕円の哲学」だ。

 

 物事には楕円のように二つの中心があり、どちらかに傾斜することなく、中正の立場を貫くのが重要である。権力万能に陥ってはいけないが、国民に迎合してもならない。均衡と中庸を好む大平らしい訓示であり、「楕円の哲学」と呼ばれるようになる。 

   (本書三四頁)

 大平の政治哲学の中で、その楕円の二つの中心は、東洋の政治哲学の粋である「治水の原理」と西洋の政治哲学の粋である「保守主義の哲学」であった。読書を愛した祖父の中では「東洋と西洋」の哲学に基づいた考え方が楕円の二つの中心だったのだと思う。

 だが、生来の口下手であった祖父の考えが、国民に理解されることは難しかった。

 

 大平の本領は、目前の政局だけにとらわれず、責任ある保守としての使命感を貫こうとしたことにあった。それが同時代に受け入れられなかったことは、国民やメディアのあり方を問うているのかもしれない。

    (本書二四四頁)
 

 服部氏の、当時の社会や世論のあり方を踏まえたこの指摘に接するとき、現代においてはより深刻な状況になっているのではないかと危機感を抱かざるを得ない。すなわち、世界に自国第一主義とポピュリズムが蔓延している現代にあって、日本の政治の中枢のみならず、社会全体を支配しているように思える右傾化の空気。また、SNSの浸透も手伝って、ひとつの考え方に多くの人が無自覚に靡(なび)いてしまう危険。均衡と中庸を見失っているかのような社会に対して、私は、かつての宏池会のようなリベラルな政治勢力が必要だと思う。“穏健な保守政治”を行う勢力が楕円のもうひとつの中心となり、一方的な政治に対してバランスをとることが望まれる。

 亡き祖父の遺志を継承するため、「研牛会」という会合を続けている。もともとは、毎年七月七日に大平内閣のブレーンだった方々が集まる同窓会のような会合で、織女と牽牛の牽牛にかけ、また鈍牛といわれた祖父の研究会ということで、浅利慶太さんが命名してくださったものだ。浅利さんも天に召され、ご高齢の方ばかりとなったため、一度は終了を決めたのだが、大平の政策や考え方を未来につなげたいと考え、新たに宇野重規、五百旗頭薫、三浦瑠麗各氏をはじめとする学識者やメディア関係者にご賛同いただき、新生「研牛会」が発足した。この会では、大平の田園都市国家構想をはじめとする政策をアップデートさせること、大平が粉骨砕身した日中関係の進展を図ること、皇室の在り方から我が国の未来を考えること、この三つを柱に立てた。福田康夫、野田佳彦両元総理、谷垣禎一、増田寛也、佐々木毅ら各氏には、ご意見番としてご参加いただき、党派を超えて、未来を担う若手政治家が集い学ぶ場所、となることを願っている。

 大平の愛した聖書の一節に次のようなものがある。

 

 一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの実を結ぶべし  

 (ヨハネの福音書一二章二四節)
 

 また、「人生は結果ではなく過程である」というゲーテの言葉を引いて、随筆には、「汗をかき力をこめて当面する困難に立向ってその打開を試みる過程が人生である」(『在素知贅』)と記した。現在、日中映画祭実行委員会などで日中を結ぶ活動をする私の原点は、ここにある。

 本書は、「何か世の中のために」と政治の道を志した一政治家の生涯を辿った労作だが、それのみにあらず。真の保守とは何か、我が国と隣人諸国との将来をどう描くか、様々な今日的課題を再認識させられる。多くの方々が手にとり、読まれることを祈念してやまない。

文春文庫
増補版 大平正芳
理念と外交
服部龍二

定価:1,540円(税込)発売日:2019年10月09日

電子書籍
増補版 大平正芳
理念と外交
服部龍二

発売日:2019年10月09日

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