人生は「逃げればそれでよし」ではない
「数年前に『鬼平犯科帳』や『御宿かわせみ』のような事件物の連作を、一度書いてみませんか、と提案されたことが、もともとの執筆のきっかけになりました」
デビュー以来、骨太な歴史小説を上梓し、特に古代を扱った長編に定評のある澤田瞳子さん。しかし本作はあえて江戸時代中期の京都を描いた本格時代小説の短篇集となった。
「江戸という都市に霞んで、江戸時代の京都は幕末を除くと、ほとんど注目されません。でも幕末以前の京都も人間関係が緻密で面白いし、色んな文化が東西から入ってきていて、それを取り上げないのはもったいないと思っていました。以前に『若冲』では尊王攘夷運動がはじまる少し前の京都を書いたので、今回はさらに時代を遡ったところから書きはじめました」
物語の舞台は落飾した後水尾天皇の第八皇女の元瑶が、初代住持を務めた比丘尼御所・林丘寺。後水尾天皇は黄檗宗の禅や書を日本へ採り入れ、文化的功績も大きい人物だが、元瑶自身も画技に優れ、その絵が江戸城内に納められたという資料も残る。
「元皇女たちが代々の住持を務める高貴な寺院の中なので、〈御所ことば〉を使わなければならないと思って書き始めたところ、古語の色彩の濃い特殊な言葉で、第一話からすぐに後悔しました(笑)。ただ言葉だけでなく、文化の伝承ということでも奈良や平安の公家文化が延々と受け継がれていて、たとえば六月朔日に氷室から運ばれた氷が献上されたり、七夕の夜の遊戯など、四季折々の行事を切り取るのは楽しかったですね」
そんな宮中さながらの生活が営まれている林丘寺には、夫との離縁を望む女が飛び込んできたり(「駆け入りの寺」)、総門の前に赤子が置かれたり(「三栗」)……。
「お寺の人員構成としては、尼さんだけではなく、会計担当や警備や雑用担当のお侍さんらもいますが、空間としては閉鎖されている、いわば一幕ものの舞台の中で何が出来るか? 駆け込み寺というテーマを設けたので、基本は悩みを抱えた人が逃げてくる話ですが、人生は逃げられればそれでよしというような単純なものではない。むしろ逃げた後のほうがトラブルは多かったりするので、それを最後まできちんと書けたらと思いました」
逃げ込んでくるのは歴史的に名もなき人々であろうと、「どんな物語にも、それぞれに自分だけの物語があるはず」と語る澤田さん。細部にまで血の通った七篇は、読者に生きる意味を静かに問いかけてくる。
さわだとうこ 一九七七年京都生まれ。二〇一〇年『孤鷹の天』でデビュー、同作で中山義秀文学賞。『満つる月の如し』で本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞。『若冲』で親鸞賞。