「暗い深淵(ふち)から出て来たか、明るい星から生れたか?
ぞっこん惚(ほ)れた『宿命』が小犬のように後(あと)を追う。
気紛(きまぐれ)にそなたは歓喜を災害を処(ところ)かまわず植(うえ)つけて、
一切を支配はするが、責任は一切持たぬ」
──ボードレール・堀口大學訳『悪の華』
その人はひどく怯(おび)え、絶対に自分の名が特定されないようにしてくれと、何度も私に訴えた。同じような言葉をこれまでに、いったいどれだけ耳にしたことだろう。
ある日を境に電話に出てくれなくなってしまった人もいれば、家族が出て来て、「二度と 近づいてくれるな」と追い払われたこともあった。皆、「彼女を語ること」を極度に恐れているのだ。
彼女のことを古くから知るというその人は、躊躇(ためら)いながらも上ずる声で話し出すと、憑(つ)かれたように語り続けた。
「なんでも作ってしまう人だから。自分の都合のいいように。空想なのか、夢なのか。それすら、さっぱりわからない。彼女は白昼夢の中にいて、白昼夢の中を生きている。願望は彼女にとっては事実と一緒。彼女が生み出す蜃気楼(しんきろう)。彼女が白昼見る夢に、皆が引きずり込まれてる。蜃気楼とも気づかずに」
確かに蜃気楼のようなものであるかもしれないと、私は話を聞きながら思った。
世間には陽のあたる坂道を上(のぼ)りつめた女性として、おそらくは見られていることだろう。女の身で政界にこれだけの地歩を築いたのだから。けれど、彼女自身は果たして「自分」をどう見ているのか。頂(いただき)に登り周囲を見下ろし、太陽に近づいたと思っているのか。それとも、少しもそうは思えずにいるのか。
ただ一つだけ、はっきりとしていることがある。彼女は決して下を見なかった、というこ とだ。怖気づいてしまわぬように。深淵に引き込まれないように。ひたすら上だけを見て、 虚と実の世界を行き来している。
二〇一六年夏、日本の首都は異様な熱気に包まれていた。
都知事を決める選挙に、突如、彼女が名乗りを上げたからだ。緑の戦闘服に身を包み、彼女は選挙カーの上で叫んでいた。足下の群衆に向かって。
「崖から飛び降りました! 覚悟はできておりまーす!」
それに呼応して歓喜の声が湧き起こる。緑の布を振り上げ、人々は彼女の名を連呼した。
「百合子! 百合子! 百合子!」
アスファルトとコンクリートで作りあげられた大都市の、うだるような暑さの中で。
天皇が生前退位の意向を伝えた夏、彼女は圧倒的な勝利を収めると女性初の都知事となった。それから早くも、四年の歳月が経とうとしている。