私が書き手として、平成の代表者である彼女に向き合うことになったきっかけは、月刊誌からの原稿執筆の依頼だった。都知事選が終わり、騒がしい夏が去ろうという頃のことだ。
私はそれを引き受けて、いつもと変わらぬ手順で執筆しようと試みた。資料を集めて読み込むことからすべては始まる。彼女は政治家の中でも群を抜いて自著の多い人である。受けたインタビューや対談の類も膨大な量にのぼり、読むべき資料には事欠かなかった。
ところが、それらを読み始めて間もなく、私の手は止まってしまった。違和感がぬぐえなくなったからだ。疑念が次々と湧き上がり、私は当惑した。
彼女が書いていること、答えていること、語ってきたこと。それらは、果たして真実といえるのか。
あまりにも話が出来すぎている。あまりにも話の辻褄が合わない。あまりにも矛盾があり、腑に落ちないことが多すぎる。
たとえば、彼女はエジプトの名門校として知られるカイロ大学を、正規の四年で卒業することのできた最初の日本人であり首席だった、と何度となく述べている。一九七二年に入学し七六年に卒業した、と。
だが、テレビタレント時代に発表した一冊目の著書、『振り袖、ピラミッドを登る』には「一年目は留年して」と彼女自身が書いている。留年したのならば、卒業は一九七七年以降でなければおかしい。だいたい、学生数が十万人を超える外国の名門大学を留学生が首席で卒業できるものなのか。
こうした綻(ほころ)びはひとつやふたつではなかった。
彼女ほど自分の生い立ちや経歴、経験を売り物としてきた政治家もいない。彼女は好んでマスコミを通じて、自分の私的な「物語」を流布(るふ)し続けてきた。魅力に富んだ彼女の「過去」が、彼女を特別な存在として輝かせてきたのである。
政治家になるにあたって、政治家になってからも、彼女が武器にし、切り札としたものは、この自分をめぐる「物語」であり、それなくして今の彼女は存在し得ない。 では、その「物語」は今までに一度でも、きちんと検証されたことがあっただろうか。彼女の白昼夢ではないと言い切ることはできるのだろうか。
女性初の都知事であり、女性初の総理候補者とも言われる小池百合子。
いったい、彼女は何者か。
『女帝 小池百合子』序章 平成の華 を抜粋
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