- 2020.06.22
- インタビュー・対談
甲斐さやか「わたしたちはいま、どこに行こうとしているのか」
甲斐 さやか
一挙掲載『シェルター』執筆に寄せて
出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
なぜなら、彼我を隔てていた壁が崩れたと錯覚したのは束の間で、舞台が終わり、彼らが帰国してしまうと、わたしにとって彼らはふたたび「見えない存在」になってしまったからだ。
頭の片隅ではいつも気になり、稽古初日に彼らからもらった土産はいまに至るまで大事にしているのに、わたしはその後、どんな行動にも移せなかった。彼らの窮状を知りながらそれきりにしてしまうことは、はじめから蓋をするよりも身勝手じゃないのか。わたしは、自分の薄っぺらな正義感に自問を繰り返して、自家中毒になった。
見えにくい場所は、わたしたちの近くにも、実はおおく存在している。シェルターが、世界で棚上げされている紛争や難民問題の縮図にも感じられた。書いておくべきだと思った。「隔離された場所」は、そうしてわたしの中に根をおろした(拭えない恥とか、自問とともに)。
小説『シェルター』は、ある女性の日常が一変することからはじまる。この、日常を切断されるという感覚は、2020年コロナ禍に遭遇したわたしたちが、まさに感じていることなのかもしれない。
わたしたちはいま、ふいに境界に立たされている。このコロナ禍は、行き過ぎた資本主義への「立ち止まれ」という警鐘にも思えてくる。気候変動などの環境問題、速いスピードで常に追い立てられた精神……このままではいけないと心のどこかで思いながらも、わたしたちは走りすぎてしまっていたのだから。
小説の主人公である佐和子(さわこ)も、現実の重苦しさを抱えていても、日常を壊してまでの逸脱は望んでこなかったし、その術も持たなかった。心で複雑なものを感知しているにもかかわらず、ほとんど表に出さない。いわば、ふつうの控え目な女性といえる存在だった。夫が拘束されるまでは。
小説は、隔離された場所での出来事と、その後、社会に戻った彼女を追った。「ここではないどこか」を求めずにはいられないわたしたちに対する、答えを探す旅にもなったと思う。
シェルターでは、入所者を名前で呼ばず、みな同じ服を着て過ごす。傷ついた人たちが、それまでと違う人生を送るために、社会的背景を隠し、貼り付けられたラベルを剥がすのだ。
わたしたちは何を見て、何を見ようとしないのか。そして、どこに行こうとしているのか。「社会から隔離された場所」で彼女が見つけたほんとうの自分とは。見届けていただきたい。
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