書評

井上荒野の才気あふれる1冊! かなしくて面白い純正イミシン小説

文: 江國 香織 (作家)

『あなたならどうする』(井上 荒野)

『あなたならどうする』(井上 荒野)

 巻頭に置かれたブルースに、まず驚く。一見いかにもありそうで、その実いやいや絶対あり得ない、あっけらかんと人を喰った歌詞。何度読んでも笑ってしまう。と同時にしみじみ味わってもしまう。だって、いいのだ、「八号棟の奥さまたち」やら「三号棟の奥さまたち」やら、「影ができない石畳」やら「移動カリー屋のおにいさん」やら、脱力感が絶妙で――。『あなたならどうする』という挑発的な書名に続いてこの“人妻ブルース”が現れる時点で、井上荒野という小説家のセンスやユーモア、技巧への自信のみならず、本人の人格というか性質(の一端)までほとばしっている。こんなにも尖った、才気溢れる一冊ができたのも道理だ。

ここには、ブルースを除くと九編の短編小説が収められており、九編とも、昭和の歌謡曲がタイトルになっている。私の世代にとっては懐かしい歌でありタイトルだが、もしこれらの歌を知らなくても(というより、知らなければなおさら)、一つずつが印象的で鮮烈で、なにより意味深長なタイトルだなと、改めて気づかされた。と書いて、そういえば、意味深長を縮めたイミシンという言葉を、最近あまり聞かなくなったな、ということにも気づかされた。イミシン――。おもしろい言葉だ。含みがあり、隠微で、つねに小声で語られる必要があり、おそらく正解はないのに、誤解だけはたくさんある。それに、白日のもとにさらすとたぶん変質してしまう。ということは、ここに収められた九編は、一編の例外もなく、どれも純正イミシン小説であると言えよう。

あなたならどうする井上荒野

定価:本体720円+税発売日:2020年07月08日


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