書評

79歳の母が72歳の父を殺した? “ありえない!”家族の不条理小説

文: 池上冬樹 (評論家)

『ママがやった』(井上荒野 著)

『ママがやった』(井上荒野 著)

 夫殺しから始まる本書『ママがやった』は、素晴らしい小説である。井上文学を代表する傑作であり、井上荒野をあまり読んでこなかった純文学ファンに、そして純文学を敬遠してきたミステリファンにもお薦めしたい。井上荒野は語りの名手であり、小説が好きな人なら必ずや満足されるはずだ。

 でも、本書の素晴らしさを語る前に、少し寄り道をしたい。ここ数年の井上荒野の確かな仕事ぶりを語りたいからである。

 

 いま純文学ファンにもミステリファンにもお薦めしたいといったが、ここ数年の作品のなかでもっとも注目すべきは、『結婚』だろう。結婚詐欺師をテーマにした連作であるが、これはもともと井上荒野の父親である作家井上光晴の同名の作品『結婚』(一九八二年)へのオマージュとして作り上げられた。井上光晴もあまり読まれなくなったうえに、同作が入手困難になっているので、いくら父親の作品へのオマージュといっても比較検討する評論家があまりいないが、僕は古本を入手してこの作品を読んでみた。すると一九八〇年代と現代の時代の気分、それからジャンルに求められるものの違いが明確に見えて、とても興味深い。一言でいうなら、井上光晴が象徴という純文学手法で物語を断絶させているのに対し、井上荒野は群像ミステリに仕立て、様々なサイドストーリーを盛り込んで、洗練の極みともいうべき結末へと至っているのである。何と巧緻な世界であることか。

ママがやった井上荒野

定価:本体690円+税発売日:2019年01月04日