あれは二〇一八年の初秋。読書家の知人から是非にと渡されたのが、「戸村飯店 青春100連発」だった。その日のうちに夢中で読み切り、明くる日には他の著書を探すべく最寄りの書店に走った。当時の最新作「そして、バトンは渡された」を嬉々として連れ帰り、こちらもあっという間に読んでしまった。これが、わたしと瀬尾まいこさんとの出会いである。
最後のページを閉じた後の言い得ぬ感動をいまだに覚えている。静かに本を置き、涙を拭い、深く呼吸をして、しばらくそこから動けなかった。紛れもなく、幸福だった。
そして、わたしの「瀬尾まいこさん勝手に応援キャンペーン」は始まった。
著書を読み漁り、家族や友人に勧めてまわった。本作の本屋大賞の受賞が発表されたときには、「ほら思った通りだ!」とこれまた勝手に鼻を高くしたものだ。(本当におめでとうございます!)
因みにあの日買った単行本は、だれかに貸したきり返ってきていない。いつものわたしなら大捜索を始めるところだが、今回ばかりは許すことにする。なぜなら代わりに、瀬尾さん直筆のサイン本がわたしの本棚に鎮座しているからだ。「瀬尾まいこさん勝手に応援キャンペーン」が、なんと瀬尾まいこさんご本人のお耳に入り、わざわざ本を送ってくださったのだ。なんて優しい世界、なんて夢のような贈り物! この場をお借りして、瀬尾まいこさま、その節は本当にありがとうございました。どんなにせがまれようと、この本だけは、絶対に誰にも渡しません。
少し熱が入り過ぎてしまった。わたしがどれほど瀬尾作品を、そして本作を愛しているかお分かりいただけただろうか。今回、このような有難いご縁で文庫版の解説を仰せつかった次第だが、恐れ多いこと甚だしく、光栄なことこの上ない。
さて、本題に入ろう。
主人公の優子は、十七年の人生の中で、七回も家族の形態が変わっている。これだけ聞くと彼女の数奇な運命を想像してしまうが、この物語は「困った。全然不幸ではないのだ。」という言葉で幕を開ける。
家族が変わるという経験をわたしはしたことがないけれど、きっと簡単なことではないのだと思う。優子はそれを何回も繰り返しているのに、自分が人より不幸だと悲観してはいない。幼い頃から大事な選択を迫られ、出会いと別れを繰り返し、悩み傷ついても、そのたびにたくましくなる。そして、「みんながいい親であろうとしてくれたように、私もやっぱりいい娘でいたい」と考える。
その静かな強さ、どこか達観していて凜とした姿が頼もしい。大変な思いをした分、増えた節をしなやかにしならせる。まるで竹のような人だ。
苗字が何回変わっても「優子」という名前は変わらないように、彼女の優しさも決して変わらなかった。そんな彼女に、わたしはどうしようもなく惹かれる。
そして優子は、入れ替わり立ち替わっていく親たちと、それぞれの家族の形を作る。子は親に似ると言うけれど、優子はどの「親」にも似ているように思う。家族として一緒に暮らすということは、血の繋がりを超えて影響し合うということなのだろうか。今のお父さん・森宮さんにも、二番目のお母さん・梨花さんにも、優子はどことなく似ている。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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