書評

『13・67』から読み解く香港現代史

文: 佳多山 大地 (ミステリー評論家)

『13・67』(陳 浩基)

『13・67 上』(陳 浩基)
『13・67 下』(陳 浩基)

 香港(ホンコン)、震撼す――。

今年(二〇二〇年)六月三十日、中国の全国人民代表大会常務委員会は、香港の統制を強化する「香港国家安全維持法」案を全会一致で可決、成立させた。日本でも大きく報道されたが、同法は「国家の分裂」「中央政府転覆」「テロ行為」「外国勢力との結託」の四つを犯罪行為と規定し、最高刑は終身刑と定める。これを受けて香港政府が、日付のまだ変わらない深夜十一時に同法を公布、施行したことで、国際金融センターでもある香港は中国の治安維持体制に事実上組み込まれた格好だ。

 それにしても、明くる七月一日を香港国安法の実質的な施行初日としたことは、いわゆる戦狼外交の一環なのだろう。香港がイギリスから中国に返還されて二十三年の節目にあたるその日、「香港に自由を」と叫ぶ民主派市民の大規模なデモ行進に、香港警察は催涙弾なども使用して強硬に対応。三百七十人以上の市民が拘束され、うち十人が国安法違反に問われている。香港の民意は伝統的に親中派が四割で民主派が六割と言われるが、一九九七年七月一日の祖国復帰以降、一国二制度下にあった香港が最大の歴史的転換点を迎えていることはまちがいない。

 ――そんな香港の過去現在を知るのに、香港人作家である陳浩基(ちんこうき)の(いちさんろくなな)『13・67』ほど相応しい推理小説(ミステリー)はほかにない。戦後香港の現代史と一人の警官人生を重ねて〈時の政権(警察権力を含む)〉と〈市民の正義〉の関係を問い直そうとする壮大な構想のもと、すこぶる技巧的でいて人間ドラマは濃密な、掛け値なしの傑作だ。年末恒例の各種ミステリーランキングでも抜きん出た支持を集め(「週刊文春ミステリーベスト10」海外部門一位、「このミステリーがすごい!」海外部門二位、「本格ミステリ・ベスト10」海外部門一位)、その反響から大増刷された折には「『本格』の典型からはさまざまに逸脱していきながらも、すべてが実に本格ミステリ的な、優れた創意と技巧によってこそ成り立っている」(綾辻行人)、「時代が織りなす警察の信と疑を車窓に映しつつ、ロジックのハンドルさばきも鮮やかに、香港現代史の発火点をタイムトラベルしてみせる無双の緊急捜査車両」(横山秀夫)と賛辞が躍る新しい帯が巻かれたものだ。これまでに日本で最も多くの読者を獲得した華文(中国語)ミステリー作品であるのはまちがいなく、まだまだ馴染みの薄かった華文ミステリーへの関心を一気に高めた記念碑的作品であるとの評価は動かないだろう。

13・67 上陳浩基 天野健太郎

定価:本体870円+税発売日:2020年09月02日

13・67 下陳浩基 天野健太郎

定価:本体870円+税発売日:2020年09月02日

網内人陳浩基 玉田誠

定価:本体2,300円+税発売日:2020年09月28日


 こちらもおすすめ
ニュースネットに潜む獣を撃て! 華文ミステリーの最高峰、序章を先行公開!(2020.09.21)
ニュース世界が注目する香港警察ミステリー『13・67』が「週刊文春ミステリーベスト10」第1位(2017.12.07)
書評売られた世界は買い戻せるか(2012.06.13)
インタビューほか夏休みの読書ガイドに! 2020年上半期の傑作ミステリーはこれだ! <編集者座談会>(2020.08.07)
特集【冒頭立ち読み】『辺境の思想 日本と香港から考える』(福嶋亮大 張 彧暋・著)#1(2018.06.05)