30代、40代作家の活躍が目覚ましい歴史小説界。そのうちの一人である著者が今回挑んだのは岩佐又兵衛――戦国末期から江戸初期にかけて活躍した絵師だ。本書では、ままならない人生を歩んでいた又兵衛が、絵師として一本立ちするまでを描く。
「又兵衛を選んだきっかけは編集者に書いてみないかと言われたことで(笑)、とくにイメージはなかったです。それが小説の題材としてみた時、僕自身との共通点として吃音があった。これは歌舞伎や浄瑠璃の演目で描かれる又兵衛が吃音であるというだけで、史実なのかは分からないのですが、仮に事実でなかったとして、逸話や虚構はなぜ存在するか――それは、そこに弱者の願いがあるからだと僕は思っているんです。又兵衛が吃音であるということが虚構であれ史実であれ、当時の人々がそこに込めた思いを、現代の自分が新しい物語として書くのが僕の仕事だと思いました」
又兵衛の経歴で特筆すべきは、織田信長に謀反した荒木村重の息子という点だ。村重は遁走し、一族は信長によって撫で斬りにされるが、又兵衛は乳母の手引きで難を逃れたとされる。
「荒木村重の息子というのは外せない点でした。謀反の結果、又兵衛の母も含め一族が皆殺しにされた中で、村重本人は生き延びている。その経緯がどうであれ、父に対しては恨みとか相克があったはずです。僕はいままで“父と子”というテーマを、父子の対立という形でたびたび書いてきたけれど、今回は“赦し”の側に寄り添ってみたいという思いがありました」
同時に、又兵衛を育てた養母・お葉への思慕も印象深い。
「これまで母と子の物語は書いていなかったんです。気恥ずかしかったんですね(笑)。
やはり親を書くことは難しいです。今回は親に反発しつつ、反発も飲み込んで赦すという描き方になりましたが、すごく書くのに忍耐の必要なことでした。親を捨てるとか、逆に一心同体でありつづける関係性の方が、ある意味で物語に落とし込みやすいのかもしれません。
そして又兵衛は、前半生がよく分からないというのがミソでした。史実がはっきりしていないからこそ、小説として自由に書けました」
10月には浮世絵師の歌川芳藤を材にした『おもちゃ絵芳藤』が文庫化される。デビュー以来、たびたび絵師を描いてきた。
「身も蓋もない言い方をすると、戦国大名を書くのが苦手なんです(笑)。感情移入ができない。その点、絵師は同じクリエイターとして感情移入ができる、自分の体重をかけやすい存在ですね。見ている景色がまあまあ似ている、でもほんのちょっと違うというところにもロマンがある。
ただ、これまで書いてきた芸道ものと今回はちょっと変わりました。いままでは、天才が何かを得るためには何かを失うという話が多かった。成功のためには何かを失わなければいけないというバーター関係を書いてきて、それはかつての自分の心象風景であったかもしれません。今回、30代半ばの自分がたどり着いたのは、失わなくても手に入るものはたくさんあるし、失ったからといって手に入るわけでもない、ということでした。
また書き方として、虚構性が高まっています。これまでは史実でないからと捨てていた真偽定かならざる逸話を、小説に取り入れるようになった。逸話も物語の大きなテクスト、大河の一滴で、お話が広がっていくということに気づきました。史実性の薄い逸話の上で踊る楽しさに目覚めた一作です」
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