谷津矢車さんと初めてお会いしたのは、二〇一五年十一月十七日、いまはなき豊島公会堂でのことだ。
天狼院書店主催のトークイベントに、そろって登壇することになっていた。控え室でお目にかかった谷津さんの気さくな人柄と聡明な語り口に惹かれ、さらには同い年の気安さからすぐに打ち解け、歴史小説とミステリというジャンルの違いはありながらも親交を結ぶようになった。
その年の暮れ、私が旗振り役となり、当時若手だった作家やイラストレーター、編集者を数十名集めて忘年会を開いた。誰が呼んだか《ザキ会》である。
若手すなわち同世代の方々だけにお声掛けしたのには狙いがあった。ベテランの方と同席する場合、若手はありがたいお話を拝聴できる反面、どうしても畏縮してしまい、本心から発言しづらくなる。この会ではそういった遠慮を取っ払い、のびのびと言葉を交わしてほしかった。
主催者の目からは見えづらい部分もあっただろうが、目論見はある程度、成功したように思う。第一線を目指して日々研鑽を積む若手どうしの活発な議論が飛び交う、刺激的な夜になったと記憶している。
その会に、谷津さんにもご参加いただいた──そして『おもちゃ絵芳藤』は、そんなザキ会に端を発して書かれた作品なのだという。
戯作者・谷津矢車。
二〇一二年、「蒲生の記」で第十八回歴史群像大賞優秀賞を受賞し、翌年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』(学研M文庫/徳間時代小説文庫)でデビュー。一八年『おもちゃ絵芳藤』で第七回歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞、一九年に刊行した『廉太郎ノオト』(中央公論新社)は翌年の青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高等学校の部)に選出されるなど、いま最注目の歴史小説家だ。
本作『おもちゃ絵芳藤』は、そんな谷津がデビュー作や出世作となった第二長編『蔦屋』(学研プラス)などでもたびたび扱ってきた、絵師を題材として書かれた作品である。
歌川芳藤はうだつの上がらない絵師だ。大絵師・歌川国芳の画塾で学び、筆一本で生計を立てるも、当たり作に恵まれず、彼のもとに来るのは新人の修行のためにあてがわれることの多い玩具絵の仕事ばかり。恋女房のお清とは仲睦まじいが、念願の子供はいっこうに授からず、どこか満たされない日々を送っている。
師匠の国芳が逝去したことを受け、その娘のお吉とともに、芳藤は画塾を守る決意をする。文明開化という激動の時代の中で、弟弟子であり人気絵師の月岡芳年や落合幾次郎、さらには狩野派絵師の河鍋暁斎らと交流しつつ、芳藤は自身の絵師としての存在価値に煩悶し、懊悩しながら、居場所を模索していく。