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新作ミステリー『網内人』の香港人作家、陳浩基インタビュー「香港も、世界も、臨界点に達している」(後編)

新作ミステリー『網内人』の香港人作家、陳浩基インタビュー「香港も、世界も、臨界点に達している」(後編)

文:野嶋 剛 (ジャーナリスト)

『網内人』(陳 浩基)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

前編はこちら


『網内人』(陳 浩基)

野嶋 作品では非常に難解なネット技術を、探偵も犯罪者も駆使しています。その攻防は手に汗を握るもので、リアリティに満ちています。この知識は陳さんがかつて小説家になる前にネット会社で働いていたことと関係していますか。

 ネット関係の企業にいたことはありますが、当時のネット環境と「網内人」の状況はかなり違うので、経験から書けたことは多くはなく、むしろ普段の生活のなかでネットから観察できたことに多くを負っています。ただ、中小企業でしたので、資金を探そうとしたりするシーンの細部には生かされていますし、仕事の関係で当時は大量のつまらない技術書を読まされたので、ほかの作家に比べて、ネット技術について書きやすいところは確かにあったでしょうね。

野嶋 本書で描かれているように、ネットが本来はとても小さな悪意、小さな憎しみを、一気に巨大なものに増幅させ、本人すら想像のつかない報復の手段となって人の命すら奪ってしまうところには、いま私たちが生きている世界の本当の怖さを見せつけられたようで慄然としました。

 ネット文化の欠点は正直絶対に解決できないでしょう。実名制にすればいいという人もいますが、実名にしてもネットで身勝手なことを言う人は出てきます。ウェブ上のコミュニケーションは主に文字が媒介します。一方、現実社会のコミュニケーションは多くの情報交換によって成り立ちます。表情、語気、声のトーン、動作、目配りなどです。しかしネットでは文字しかない。しかもみんながネットの文章表現に慣れているわけではない。だから、激しいやりとりになってしまうのです。
 最近、日本でネットいじめを受けたとされるタレントの自殺事件がありましたが、彼女への批判が番組への批評なのか、個人攻撃なのか本当のところわかりません。
 観客には作品や番組を批評する権利があり、批評で自殺しても責任は取れないと考えるでしょう。ネットのコメントを一つずつ確かめるわけにもいきません。しかし、客観的にみればそれらはいじめの一部分を作り上げているのです。ネットが社会にもたらしたマイナス部分を減らすには、教育によって人間性を進歩させるしかありません。ネットは人間性の鏡のようなものです。我々の心が汚れていればそれは醜悪なものとなり、我々の心が美しければ善良なものが反映されるだけなのです。

前作『13・67』刊行時に台北で行われたインタビュー 撮影:玉田誠

野嶋 この作品の舞台は陳さんの故郷である香港ですが、経済優先主義で広がった貧富の格差、豊かさからはみ出した人々の苦悩、這い上がろうとする人々の強欲さなどが物語の不可欠の要素として描かれています。香港社会の経済的不平等を、陳さんはどのような問題意識をもって描いたのでしょうか。

 経済的不平等の問題は、世界各国が直面する問題ですが、香港では特に深刻です。新型コロナウイルスの流行のなかで晒されたのは、在宅で仕事ができる人はホワイトカラーで、感染の危険を冒して仕事に行かざるを得ないのは、食品加工、運送、ゴミ清掃などの人たちです。コロナのなかでも社会が動いていくには彼らの存在が必要であるのに、逆に人々から差別され、軽視されています。もし彼らがある日突然消えてしまったら世界は大混乱に陥り、あらゆる企業は事業の一時的停止に追い込まれるでしょう。しかし、今の若者は決して彼らのようなエッセンシャル・ワーカーの仕事をしたいとは考えず、社会的な落伍者の仕事のように思われています。一体何が間違ってこうなってしまっているのでしょうか。
 香港は金融業の発達に伴って、利益の大きさが成否の指標になる傾向が強まっています。香港の政治家やビジネス界の人々は「トリクルダウン」という理論を信奉しており、大企業がお金を稼げば、労働者階級にも分け前が落ちていくと考えています。ですが、私たちは人々の強欲という問題を忘れています。トリクルダウンは同情心がなければ意味をなしません。香港のこの30年はやみくもな物質的数字の追求に費やされ、貧富の格差を広げ、公平な富の社会還元が行われていません。

単行本
網内人
陳浩基 玉田誠

定価:2,530円(税込)発売日:2020年09月28日

文春文庫
13・67 上
陳浩基 天野健太郎

定価:957円(税込)発売日:2020年09月02日

文春文庫
13・67 下
陳浩基 天野健太郎

定価:957円(税込)発売日:2020年09月02日

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