『雲を紡ぐ』が読者の心を捉えている伊吹有喜さん。取材先の岩手県盛岡市で出会ったのは、今まで考えもしなかった「りんごの○○○○」でした。ワクワクが止まらない伊吹さんの目に映ったものとは?
ワクワクが止まらないリンゴジュース
『雲を紡ぐ』を書き始めた頃、時間ができたので盛岡へ取材に出かけた。
東北新幹線が盛岡駅に着くと、粉雪が舞っていた。
私の郷里は年に一度か二度ほど雪が降るが、めったに積もらない。県の主要な農産物は南紀みかんと伊勢茶。温暖な気候の地だ。
そのせいか雪を見ると、童謡にある「喜んで庭を駆け回る犬」ではないが、あちこち歩き回ってしまう。『ミッドナイト・バス』という作品のために新潟取材をしていたときも、さまざまな場所から美しい雪の様子を眺めた。
その日も宿に荷物を置くと、すぐに街を歩いた。中津川にかかる橋にさしかかったところで、大空いっぱいに、風に舞い上がる雪が目に入ってきた。風の流れに従い、雪は川の上で横に流れたり、吹き上がったり、交差したりと、めまぐるしく様相を変えていく。あまりに雄大で、思わず眺めてしまった。
しばらく立ち止まってから歩き出すと、今度はストーブに手をかざしながら、たくさんのリンゴが入ったザルやバケツを並べて売っている女性を見かけた。降りしきる雪の向こうに並ぶ、赤や黄のリンゴの色がたいそう明るく、おいしそうだ。
寒くなってきたので喫茶店に入ると、リンゴのジュースがメニューにあった。さっそく頼もうとすると「冷、温」とある。ホットコーヒーのように、ホットのリンゴジュースがあるのだと驚いた。
しかし、すぐに焼きたてのアップルパイの中身が心に浮かんだ。あの加熱されたリンゴのとろりとした食感と、鮮烈に立ち上がる甘み。これはホットのリンゴジュースもおいしそうだ。ワクワクしながら頼むと、シナモンの香りがするその飲みものはたいそうおいしく、身体が温まった。
翌日、別の喫茶店に入ると、そこにもリンゴジュースがメニューにあった。そして、東京に戻るために駅に向かうと、新幹線の改札の前で、箱に入ったリンゴがたくさん売られていた。
そのとき思った。自分にとって、冬の風物詩は箱買いのミカンだが、この街の冬の風物詩は、きっと箱買いのリンゴだ。
ミカンの国で育った人間が、リンゴの国の物語を書く。美しい山や伏流水など、郷里と共通する点もあるけれど、気候や方言は大きく違う。いろいろなことを真摯に学んで、この街の魅力を書いていかねばと気を引き締めた。