- 2021.01.18
- インタビュー・対談
直木賞候補作家インタビュー「怖い、けれど読むのを止められない」――芦沢 央
インタビュー・構成:「オール讀物」編集部
第164回直木賞候補作『汚れた手をそこで拭かない』
出典 : #オール讀物
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
いずれも、ささやかな“秘密”から物語は始まる。
記憶の底に封印していた事件について夫が病床の妻に告白する「ただ、運が悪かっただけ」。サイン会に現れた元彼に、ついお金を貸してしまう料理研究家を描く「ミモザ」。苦労して映画を撮り終えた監督が主演俳優の醜聞に直面する「お蔵入り」。認知症気味の妻が、誤配された隣家の電気代督促状を渡し忘れているうち隣人が熱中症で死んでしまう「忘却」など五作を収める本書は、ひりひりするような恐怖と驚きにみちたミステリー短編集だ。
芦沢さんいわく、一冊を貫く裏テーマは「お金」なのだという。
「大金を得て人生が変わったり、お金の貸し借りに縛られてしまったり……どの短編も、お金のもついろんな側面に光を当てる狙いがあります。お金ってふだん当たり前に存在するものですけど、同時に非常に特別なもの、平穏を破壊するものでもある。どこにでもいる普通の人が、ふと気づいた時には日常にぽっかりとあいた“裂け目”に落ちてしまっている、という怖さを味わってもらえたら嬉しいです」
読み応えあるスリリングな作品ばかりだが、ミステリーの切れ味をもっとも堪能できるのは「埋め合わせ」だろう。夏休みの日直当番中、うっかりプールの水を抜いてしまった小学校教師が主人公。発覚すれば責任問題になる。水道代は税金なので弁済を求められるかも――胃がきりきり痛む状況の中、焦燥、煩悶の果てに教師が選択した一手とは? 意外な展開、連続するどんでん返しは圧巻というほかない。
「連城三紀彦さんや泡坂妻夫さんの短編が大好きで、私が短編ミステリーを書く際には、構図の反転、心理の反転を軸に据えることが多いんです。多くの人が“常識”と思っていることをひっくり返して、説得力を持たせないといけないので、日頃から何を見ても『本当は逆だったのではないか』と考えるクセがついていますね(笑)」
昨今のミステリー短編集といえば、シリーズ探偵が活躍したり、世界観が繋がっていたりするものが多く、完全に独立した短編ばかり収める本書のような例はきわめてめずらしい。
「読むのも書くのも独立短編がとにかく好きなんです。原稿用紙わずか五、六十枚の中に世界観が凝縮されていて一文、一行に至るまで無駄がない。理想の独立短編って、どの角度から見ても美しい料理のようなものかな、と。
今回も、何度も何度も粘って書き直しながら五編を仕上げていきました。私がいま、一番書きたい独立短編に全力投球した作品集です」
芦沢 央(あしざわ・よう)
一九八四年生まれ。『罪の余白』で野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。近著に『火のないところに煙は』『カインは言わなかった』『僕の神さま』等。
直木賞選考会は2021年1月20日に行われ、当日発表されます