若き研究者たちが津波予測に挑むプロジェクトを描いた『ブルーネス』や、ニセ科学を扱った『コンタミ 科学汚染』などで科学者を主人公とする作品を自らの経験を活かし書いてきた伊与原さん。五篇からなる本作は、それとは違う属性の人々が「科学」のもたらす真実と出会う物語だ。
「きっかけは編集者が、貝類博物館に行った話をしてくれたことでした。アマチュアの研究者の膨大な貝のコレクションを見て、これまで、貝に全く興味がなかったのに圧倒された、と。また、表題作で書いた、自分にとっては当たり前だった地球の内部をどうやって科学的に知るか、という話を面白がってもらったことも大きかったです。科学者にとっては常識である風景も、一般の人にはとても新鮮なんですね。その新鮮な驚きに衝撃を受けました」
登場するのは、就活連敗中で怪しいバイトに手を出す大学生や、生活に行き詰るシングルマザー、立ち退きを迫らねばならない不動産会社の社員、SNSで見知らぬ男から難癖をつけられる女性、そして原発の下請け会社を辞めて旅をする男性。人生に躓いた彼らの景色はある出会いで一変する。
「科学とは無縁の人がどう暮らしているかをきちんと書いたことがなかったんです。普通の人生に行き詰った人が、科学の世界と共鳴したときに物語になるなと思いました」
今作は、その“共鳴”するポイントを探すのに苦心したという。
「故郷に帰れない主人公とは真逆に、死にものぐるいで家に帰る伝書鳩(『アルノーと檸檬』)や、世界を虚しく思う女性が、考えたこともなかった鯨の生態と出会って、そもそも世界自体を知らなかったことに気づく(『海へ還る日』)。彼らをどう偶然に出会わせるかを探す作業をしました。ぼく自身が、科学的成果だけでなく、その奥にある研究者の熱量込みで世界の奥深さが生まれていることに感動してきたので、普通の人々が科学の真実に触れて感動する瞬間を書きたかったんです」
本作を科学に対して苦手意識や嫌悪感のある人にこそ読んでもらいたいと感じている。
「学問を究めた結果を知ることで得られる安心感を、小説の中で表現できたらとてもいいなと。新境地という感想もいただきますが、自分としては大きく変えたつもりはないんです。ただ、以前は、善人しか出てこないと言われたこともあったのが、善良とは言い切れない人たちや科学の功罪を描けたことは変化でしたね。大事件は起こりませんが、本が好きな人に喜んでもらえる物語が書けました」
伊与原新(いよはら・しん)
一九七二年生まれ。二〇一〇年『お台場アイランドベイビー』で横溝正史ミステリ大賞、一九年『月まで三キロ』で新田次郎文学賞、静岡書店大賞、未来屋小説大賞受賞。
直木賞選考会は2021年1月20日に行われ、当日発表されます
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