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16世紀、「世界史」はいかにしてはじまったのか

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

16世紀「世界史」のはじまり

玉木俊明

16世紀「世界史」のはじまり

玉木俊明

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『16世紀「世界史」のはじまり』(玉木 俊明)

 ヨーロッパは、地理的には、ユーラシア大陸の西端に突き出た半島にすぎない。高緯度に位置するため、植生は貧しい。しかし、ヨーロッパが近代社会を形成したばかりか、世界を支配した一時期があったことも事実である。そのためわれわれは、長いあいだ、ヨーロッパの優越を、「当たり前のこと」としてとらえてきた。

 しかしそれは、決して「当たり前」の現象ではない。ヨーロッパは、アジアと比較して、太古から強力な軍隊をもっていたわけではなく、生活水準が高かったわけでもない。ヨーロッパの優位は、歴史的には比較的最近のことにすぎなかったのである。

 もしヨーロッパ優位の時代を「近代」と呼ぶとしたら、その開始は、16世紀に求められよう。16世紀は、ローカルなヨーロッパから、グローバルなヨーロッパへの転換期であったからだ。

 では、16世紀の世界には、いったいどのような特徴があったのだろうか。この時代の世界史を大きく動かしたのは、果たしてなんだったのだろうか。

 ヨーロッパの人々にとって、近代の幕開けを象徴するのは、「ルネサンス」と「宗教改革」である。この二つによって、人々の精神は中世的な教会のくびきを脱し、自由な思考、自由な信仰の「近代精神」の時代がはじまった──としてきた。

 しかし、それは近代ヨーロッパ人が「そうありたい」と望んだ理想的な自画像であり、決して事実とはいえない。後述するように「ルネサンス」にも「宗教改革」にも、多分に中世的要素が含まれているからだ。

グローバル化が変えた世界

 本書で強調したいのは、交易と航海によってもたらされた「グローバル化」である。そこでは、プロテスタントよりもむしろカトリックが、国でいえばルネサンスのイタリアよりも、ポルトガル、スペインが主役となる。

 1492年にコロンブス(1451~1506)が新世界を「発見」し、大西洋という広大な領域がヨーロッパ人に提供されたことは、それ以降の世界史を大きく変えた。

 1498年にはヴァスコ・ダ・ガマ(1460頃~1524)がインドに到達し、ヨーロッパ人は、アジアに喜望峰ルートで航海することができるようになった。この交易ネットワークが拡大、発展したのが16世紀である。

 そのグローバルな交易ネットワークに、ヨーロッパ、アラブ世界、アフリカのみならず、広大なロシア世界、インド、中国、東南アジア、そして日本も組み込まれていった。

 これらの世界は、中世には別々の「世界」として存在し、一部の商人たちが行き来するのみだった。しかし、16世紀には、ヨーロッパで開発された火縄銃が、日本統一に重大な役割を果たし、キリスト教宣教師たちがマニラや長崎など、アジアに拠点をもって武装したりする状況が生まれた。こう考えるなら、いま私たちが思い浮かべる「世界史」というものは、まさに16世紀に生まれたといってよい。ヨーロッパ人は、自国船でアジアから香辛料を輸入するようになったのである。それ以前は、アジアの人々の船で輸入していた。ヨーロッパに直結する交易ネットワークが大西洋、インド洋に接続され、全地球的なものへと変貌したのだ。

 しかしながら、この点の重要性は、これまでの歴史学界であまりに軽視されてきたといわなければならない。言い換えるなら、世界史におけるイタリア、そして地中海の位置づけが過大評価されてきたことにもなる。

 ここで、香辛料貿易を例にとってみよう。いわゆるルネサンス期前後のイタリアは、東南アジアのモルッカ諸島からアジア商人──その主流はムスリム(イスラーム教徒)──がアレクサンドリアまで輸送していた香辛料を、ヨーロッパ内部で流通させたにすぎない。イタリア商人はいわばヨーロッパ・ローカルであり、彼らが、直接モルッカ諸島まで買い付けに行ったわけではないのだ。

 このイタリア型の交易システムでは、価格の決定権はアジア側にある。商品の価格は、確かに需要と供給によって決定されるが、そこに買い手と売り手の複雑な力関係が働くのは、昔もいまも変わらない。

 中近世において、ヨーロッパ人が消費した香辛料は、世界全体のおよそ30パーセントといわれる。それは、世界市場にとって「きわめて重要」というほどではないであろう。ヨーロッパが買わなくとも、アジアの香辛料ビジネスは成り立つ。ヨーロッパ人は香辛料を欲していたが、その供給元は東南アジアしかなかった。さらに重要なのが輸送インフラである。輸送ルートの大部分をアジア人が担っており、それに代わる手段がない以上、価格はアジア人が決定したと考えられよう。ヨーロッパ人は、自分たちが欲する商品を、おおむねアジア人が決定する価格で購入するほかなかったことになる。

 新航路の「発見」は、それを逆転し、アジア人の価格決定権を、少なくともかなり弱めた。これによって経済的に見れば、ヨーロッパはようやくアジアとの競争に少しずつ勝てるようになっていったのである。しかし16世紀の段階では、経済的にはアジアより劣っていたことを忘れてはならない。アジアに輸出できる商品がなく、輸入超過だったからだ。

 筆者は、この「ヨーロッパによるグローバルな交易ネットワークの成立」こそ、16世紀の大きな特徴だったと考える。

ヨーロッパの拡張と三つの革命

 16世紀の世界史の最大の特徴は、ヨーロッパ人のヨーロッパ外世界への拡張にあった。

 そこにリンクするようにして起きたのが、軍事革命と宗教改革、さらに科学革命であった。この三つは連動しながら、ヨーロッパ人の世界支配へとつながっていく。

 本書の内容の理解を容易にするために、ここで軍事革命、宗教改革、科学革命について、簡単にまとめておこう。

 軍事革命という用語は、現在の世界の歴史学界で、広く用いられる共通の用語となっている。中村武司が簡潔にその内容についてまとめているので、ここで紹介してみたい。

1 16世紀以降のヨーロッパでは、大砲やマスケット銃〔火縄銃──引用者〕などが主要な兵器となり、それらを装備する歩兵が兵力の中心をなすようになった。……また海上においても、軍艦に装備される舷側砲が発展した。このことは、非ヨーロッパ世界におけるヨーロッパの軍事的優位を考えるにあたりしばしば重視される。

2 兵器や防衛建築の変化、それにともなう戦術・戦略の変化から、ヨーロッパ諸国の兵力の規模は飛躍的かつ持続的に増加した。16世紀以前であれば、 1万5000人を超える軍隊が動員されることはまれだったが、16世紀に入ると各国ともに軍隊の規模は数万を数えるようになり、兵力の膨張傾向はその後も継続したのである。

3 このような兵器や兵力などの変化は、大量の人的・物的資源が戦争で動員されることを意味する。

(中村武司「近世ヨーロッパにおける軍事革命と財政軍事国家」『高等学校 世界史のしおり』2014年度1学期号)

 こうした変化が開始されたのが16世紀である。軍事革命を象徴するのは、火器の使用である。火器により、ヨーロッパは圧倒的優位をもち、世界を支配していくことができた。火器の使用以前には大きな破壊力があった弓騎兵の重要性は大きく低下し、遊牧民族の軍事的優位は失われていくことになった。後述するように、この軍事革命のインパクトは非ヨーロッパ世界にもおよんでいく。その好例が日本の戦国時代である。

 16世紀の段階ではヨーロッパは軍事的に中南米やアジアを侵略、支配したが、やがてその軍事的優位により、アフリカやアジアを植民地にしていった。さらにいえば、軍隊・戦争の規模とシステムの増大は、ヨーロッパ諸国の国家体制をも変えた。

 宗教改革とは、いうまでもなく、1517年にマルティン・ルターが「九十五カ条の論題」を出したことにはじまる。これにより、西欧世界ではカトリックに加え、プロテスタントが誕生した。この二つの宗派はいがみ合い、何度も宗教戦争が生じたが、筆者の考えでは、この宗教改革自体は、西欧世界内部の出来事にすぎない。世界史的にみて、より影響が大きかったのは、カトリックによる対抗宗教改革である。その代表的な例がイエズス会なのである。彼らのヨーロッパの枠を超えた布教活動が、ヨーロッパ世界の拡張の原動力の一つとなった。

 もう一つ、宗教改革は、より大きな変化と結びついている。それは、市場化である。16世紀は、取引所の創設をはじめとする、商業機関、商業活動のためのツールが大きく発展した時代でもある。商業活動のツールとして、ヨハネス・グーテンベルク(1398頃~1468)によって発明された活版印刷がある。いくつもの商業情報が、印刷されて西欧各地に出回っていった。

 15世紀のドイツで、グーテンベルクが活版印刷術を発明したため、徐々にではあるが、文字はかぎられた人だけではなく、一般の人々も読むものに変わっていった。歴史家はこれを、「グーテンベルク革命」と呼ぶ。

 宗教改革に関係した人々は、自分たちの学説をパンフレットにして出版、見本市で販売した。それにより彼らは、自分の学説を世に知らしめただけではなく、経済的利益を得たと考えられる。宗教改革者の見本市でのプロパガンダ合戦は重要な布教手段、さらには金銭を得る方法になった。すなわち、この時代には市場化が進み、宗教改革は、市場化と深く関係して展開していったのである。

 第三の科学革命とは、コペルニクスやケプラー、ガリレイ、ニュートンらによって新しい天文学上・物理学上の発見がなされ、科学研究の方法論に大きな変革がもたらされたことをいう。それにより、ヨーロッパ人の世界観は大きく変わることになった。実験と観察にもとづく科学的思考が、ヨーロッパ人の意識に深く根づくことになっていったからである。この科学革命が本格的に展開するのは17世紀以降だが、その萌芽は16世紀に起きていた。ヨーロッパ文化の輸出者としてもっとも重要であったイエズス会が、初期の科学革命の成果を中国に輸出するようになった。

 科学革命は、軍事革命に寄与しただけではなく、ヨーロッパの科学技術を世界に輸出することにつながっていく。16世紀のヨーロッパはまだ貧しい地域であったが、世界を変革するだけの能力を有していたのである。

英雄の時代

 16世紀前半とは、まだ中世の残滓が強く見られた時代である。それに対し、16世紀後半は、近代化がはじまった時代といえる。16世紀は前半と後半でこのように時代相が大きく分かれる。したがって本書の構成は、16世紀前半と後半に二分される。それによって「中世」とはなんだったのか、新たに生まれつつある「近代」とはなにかを明らかにしていきたい。

 それは、ヨーロッパ史の文脈から見るなら、複数の地域や民族にまたがる帝国体制から主権国家体制による中央集権化への転換を意味する(もちろん帝国体制自体はその後も存続するが)。

 最近の西洋史研究では、近世の国家は、多様な要素を含み込んだ「複合国家」であったという主張がなされることが多い。しかし、いくつかの民族を抱えている国家は、現在も多数存在する。本書で主張したい重要なことは、近代国家というものの根幹をなすのは、徴税システムだということである。近代には、中央政府が税金をかけられる範囲こそが国境となっていった。税金を払う(取られる)メンバーが「国民」であり、そのような国家が近世のヨーロッパで誕生し、それが近代的な主権国家の根幹をなすのである。それは全世界におよぶ現象であった。

 さらに16世紀は、英雄の時代でもある。大きな変革期には、大きなマンパワーをもつ人たちが必要である。そのような人々の強烈なパワーこそ、時代を変革するエネルギーの源泉になった。混沌とした世界で、神聖ローマ帝国のカール5世、そのライバルだったオスマン帝国のスレイマン1世をはじめ、スペインのフェリペ2世、イギリスにはエリザベス1世、ロシアにはイヴァン雷帝、ムガル帝国のアクバル大帝、そして日本の織田信長、豊臣秀吉と豪華な顔ぶれが並ぶのは偶然ではない。時代の変化が巨大な個性を必要としたのである。


(「序章 「世界史」はいかにしてはじまったのか」より)

文春新書
16世紀「世界史」のはじまり
玉木俊明

定価:968円(税込)発売日:2021年04月20日

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