
お寺の歴史は「謎」だらけ?
一方で、寺ほど謎めいた存在は、そうはない。
「いつからこの寺があるのか」「なぜ、この地域に寺がひしめいているのか」「開山からどういう変遷を辿ってきたのか」「誰も住んでいない山奥に巨大寺院があるのはなぜか」「なぜこの宗派なのか」「本堂の規模に比べて本尊がとても大きいのはなぜか」──。
実際、多くの住職は自坊の縁起(起源や歴史的経緯)を分かっていない。私も京都の浄土宗寺院に住持しているが、ここ半世紀ほどのことは分かるが、戦前のことともなれば、何も知らないに等しい。
京都には清水寺や東西本願寺、知恩院、天龍寺、東寺、妙心寺などの古刹名刹がひしめいているが、多くの文献が残るそうした名刹さえ、伝承(口伝)と史実が混在しているのが実情である。
その理由は、いくつかある。例えば、寺の開山があまりにも古く、当時は記録媒体そのものが存在していなかったケースである。
仏教の伝来は六世紀半ば。文書などによる記録が生まれるのがどんなに早くとも八世紀以降である。現存する寺院に残る寺伝文書の類の多くは、せいぜい江戸時代に入ってからだ。
さらに寺の主や場所、さらには宗派さえ変わってしまうケースも少なくない。浄土真宗を除いて寺の住職が世襲されるようになるのは、実は明治以降のことだ。寺によっては政治的な影響を受けて宗派の兼務や転向、廃寺命令が下ることも珍しくはなかった。そのため寺伝がきちんと継承されておらず、それ以前の歴史が不明になっているケースが少なくない。
次に、度々の戦火で焼かれているケース。これは京都や東京などの都市部でよくみられる。戦国時代以前は特に、寺院自体が軍事的にも力を持っていた。戦火に巻き込まれるどころか、戦いの主体でもあったのだ。寺院同士が武力で戦う場面もあった。一方、太平洋戦争では東京などの多くの都市が空襲に見舞われてもいる。
また、落雷による火災もしばしば起きていた。五重塔を思い浮かべればわかるが、近代以前、寺院は最大の高層建築でもあった。避雷針が大規模建築物に取り付けられるようになったのが明治以降のことである。
さらに、明治初期の廃仏毀釈でかなりの割合(一説には五〇%)の寺院が破壊されたこと──などが理由として挙げられる。
このように、古代・中世からの縁起をもつ寺院で、創建からそのオリジナルの姿を維持している寺院はまず、存在しないといっていいだろう。
また、とくに宗教にはありがちではあるが、歴史が「理想化」されて伝わっている点は厄介だ。
本書でも、寺をひらいた人物として登場する“定番”が「聖徳太子(厩戸王)」「行基」「坂上田村麻呂」「役行者」「円仁」らである。