大阪の豊中市に練心庵という小さな寺子屋を開いております。本書は、そこで開催されていた「初歩からの宗教学講座」の中の「シリーズ嘆異抄」をまとめたものです。
「初歩からの宗教学講座」は、名前の通り、宗教について学ぶ講座です。儀礼や呪術から始まり、世界の様々な宗教について語り、「シリーズ嘆異抄」へと至りました。
そもそもこのシリーズは、受講者と一緒に『嘆異抄』を読むというのが主眼でした。それまでも何度か『嘆異抄』を一緒に読む機会があったのですが、あるとき参加者さんから、「みんなで声を出して読むって、すごくいいですよね」との感想をいただき、「ああ、なるほど」と思ったのです。
みんなで一緒に読む。しかも、『嘆異抄』を。
国語学者の人に教えてもらったのですが、文字は昔、声に出して読んでいたそうです。黙読という習慣が一般的になったのは、近代になってからです。仏教に限らず、世界中の宗教聖典は、基本的には大勢で声を出して読みます。一読しただけでは理解できなくても、みんなで読誦することによって、言葉が身体のどこかに潜みます。そのときはピンとこなくても、ずっと身体に伏流して、あるとき、自分を救ってくれたりする。
宗教聖典は、人類の智慧の結晶としての性格を持ちます。『嘆異抄』も同様です。本物の言葉が内包されています。身体に潜んで、絶体絶命のときに我々を導いてくれる。と同時に、時には、自分の喉元に刃を突きつけてくる。
「では、お前はどうなのか」
と。そんな切れのある言葉を、みんなで一緒に読みたいとの思いで、このシリーズを考えつきました。
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